続・時雨 後編







荷物をまとめたセイを連れ、沖田は朝早くから梅田に出てきた。
明日の日曜も休みなのだが、今日帰って明日1日家でゆっくり休んだ方が良いだろうとの沖田の提案で、セイは東京へ帰る用意を済ませていた。

まだ店が始まっていないと言う事もあり、駅のコインロッカーに荷物を預けると朝食を取るために目についた喫茶店に入った。

「まずどこに行きたいですか? 買い物にでも行きます? 女性はやっぱり買い物がお好きでしょう」
パンを口にしながら、沖田が訊ねた。
「いえ、行きたい所があるのですが…」
「どこです?」
「…新喜劇を見たいと思って」
「ぶっ!!」
セイの言葉に、思わず沖田は噴き出した。

「新喜劇ですか!?」
「え、ダメですか? 面白いって教えてもらったんですけど…」
恥ずかしそうにこたえるセイを見ながら、沖田の頭には意地悪な笑みを浮かべている山元の顔が浮かんだ。
「なるほど… 良いですよ、行きましょう。 私も行ってみたいとは思っていたんです。 でも私も良く分からないので、始まる時間とか調べないと」
「あ、それなら…」
そう言いながら、鞄から何やらメモ帳を取りだした。

「ちゃんと開演時間とか色々教えてもらいました。 ほら」
「・・・・随分と用意周到なんですね」
"山元さんは"という言葉は控えた。
「最初の回は、昼寄せっていうのが12時からあるみたいですよ」
「12時ですか。 ちょっと時間が空いてしまいますね。 じゃあ少し駅前とかぶらぶらしてみますか?」
「はいっ」

2人は食事を終えると、大阪の街を歩きだした。
コンビニで買った観光ガイドを手に、大阪城に上り、ショッピング街を歩いてウインドウショッピングを楽しんだ。

そして昼近くになると、新喜劇を見にグランド花月へと向かった。

寄せが始まると、すぐにセイは夢中になった。
初めて見るお笑いの舞台に、驚いたり笑い転げたりしている。
沖田はと言うと、舞台よりもそんなセイの姿にくぎ付けになってしまっていた。




「すっごく面白かったです!!」
興奮冷めやらぬ様子で、セイは嬉しそうに沖田に内容を話した。

「あそこの皆倒れるところ、笑えましたよね?」
「え、そんなのありましたっけ?」
「ありましたよっ!! 灰皿で頭叩いてたのにはびっくりしました」
「んー… 覚えてません…」
「ええっ!? ちゃんと見てました?」
ちょっと怒ったように訊ねるセイに、"あなたを見てました"などと答えられるはずもなく、「ごめんなさい」と謝った。
「せっかく見に行ったのに、もったいないじゃないですか」
ぷくっとほっぺを膨らませて怒っているセイを見て、その可愛らしさにまたもや沖田は見とれてしまった。


「あ、大阪に来たからにはタコ焼き食べに行きましょう! 駅の近くには、ラーメン博物館もありましたよね?」
セイの手からするりと観光ガイドを抜き取ると、ぺらぺらとめくって飲食店が載っているページを探し始めた。
「もうっ 沖田さんたら食べ物ばっかり」
呆れたように笑われた。
「いいじゃないですか。 そろそろお腹も空いてきたでしょう?」
セイの手を握ると、再び歩き始めた。

その後も2人は大阪の街を満喫した。
夕方になり、あと数時間でセイの乗る予定の新幹線の時間となる。
本音を言えば、このまま東京に帰したくない。
しかしセイにも仕事はあるし、何より自分の為にここに留まらせる事に抵抗があった。

「本当は観覧車に行きたかったんですけど、ここからだとちょっと離れてしまっているので新幹線の時間に間に合わなそうですね…」
がっかりしながらセイに伝えると、先ほどから徐々に元気がなくなってきていたセイが、小さく「そうですね」と答える。

「どうしたんですか? 何だかさっきから無口ですけど… 疲れてしまいました?」
「いえ… そんなんじゃないです」
「体調悪くなってしまったとか? それならどこかで休みましょう」
セイを気遣って、どこか休める店はないかと周りを見渡す。

「違います。 大丈夫です」
「本当に?」
心配そうにセイのかを覗き込む。

「・・・・・」
「神谷さん?」
そう訊ねた瞬間、セイは目に涙をためた顔をあげた。

「ええっ?? どうしたんですか!?」
その表情に驚いた沖田は、慌てた。
ポロポロと涙を流し始めたセイにどうして良いか分からず、とにかく人気のないところへとセイを連れて行った。



「一体どうしたんです?」
ハンカチでセイの涙を拭きながら、沖田は優しく訊ねた。
「・・・・・・・。」
その問に、セイは言いづらそうに下を向いてしまった。
「ごめんなさい… 私が何か気に障る事しちゃいました?」
申し訳なさそうにそう言った沖田の言葉に、セイは驚いて顔を上げてブンブンと顔を振った。

「では、なぜ泣いているのです? 私には言えない事ですか?」
「・・・・・ごめんなさい」
「何かあったなら、ちゃんと言って下さい。 それとも、私はあなたが辛い時に相談してもらえないほど、頼りない存在なのですか?」
「ちっ 違いますっ そんなんじゃ…」
更に悲しげに顔を歪めた。
「なら、どうしたのか言って下さい」
その言葉に、セイは再び下を向いた。

そして、しばらくしてから小さな声でぼそっと話した。

「…たく…ないんです」
「え?」
あまりに小さな声に、沖田は聞き直した。

「帰りたく、ないんです」
「えっ」
沖田は、心底驚いたように小さく声を上げた。

「すごく楽しくて。 でもこの幸せが、あとちょっとで終わってしまうのかと思うと…」
そう言いながらも、セイの瞳からは次々と涙が溢れてくる。
その様子を、目を見開いて見ていた沖田だったが、みるみる真っ赤に顔を染めた。

「ああ、もうっ! どうしてあなたはそんなに可愛いんですか」
「・・・え?」
涙で濡れた瞳をぱちぱちと瞬きをさせながら、不思議そうに首を傾ける。

「そんな嬉しい事言われたら、本当に帰したくなくなるじゃないですか」
「・・・・・」
セイは、自分の行ってしまったセリフがどんなに恥ずかしい事だったのかやっと気付いた。

「でも… 今日帰っておかないと、月曜からの仕事に障ります。 ただでさえ、慣れない土地で疲れているでしょうし」
「・・・・」
しゅんとして下を向いてしまったセイの頭を、優しくなでた。
「会おうと思えば、いつでも会えるじゃないですか」
「え?」
「私も時間を見つけて東京行きます」
「・・・・でも」
「うちの会社って、結構良いところなんですよ」
「え?」
突然何を言い出すのだろうと、セイは眉間にしわを寄せた。

「私、東京に実家があるでしょう? 月に1回は会社から帰省費用が出ます。 だからそれで私が東京へ行っても良いし、あなたが嫌じゃなければこちらへ来てくれても良いんです」
話を聞いたセイは、目を見開いた。
「そう・・なんですか?」
「はい。  それに、今のマンション会社が家賃負担してくれてるんです。 だから余裕はあるんですよ。 もっと会いたくなったら、いつでも言ってくれれば私が交通費出します」
「いえ、そんな訳にはっ」
慌てて手を振る。
「私のお願いでも?」
「え?」
「私が、会いたいんです」
「…っ!!」
思わずセイは言葉に詰まった。

「あなたが嫌じゃなければ、お願いしたいのですが。 もちろん無理強いをするつもりはありませんが…」
「いいえ! 来ます!」
突然大声を出したセイに、沖田は驚いた。

「絶対絶対来ます」
「あははっ ありがとうございます。 じゃあ、あなたがいつ来ても良いように、部屋は綺麗にしておかないと」
「それは困ります。 私の仕事がなくなってしまいますから」
そう言うと、2人は顔を見合わせて笑い合った。

「あと少し時間ありますね。 最後に、お買いものでも行きましょう」
「そうですね。 でも…」
「えっ?」
そう訊ねた沖田の胸に、セイは顔を埋めた。

「もうちょっとだけ、こうしていたいです」
「神谷さん…」
突然のセイの行動に、一瞬固まった沖田だったが、嬉しそうに顔をほころばせると、思いっきりセイを抱きしめた。

「ちょっとじゃすまなくなりそうですね」
「え?」
ぱっと顔を上げたセイに、沖田はふふっと微笑んだ。
そしてきょとんとしているセイがあまりに可愛らしくて、そっと唇を落とした。



「実はね、内緒にしてたんですけど来月早々に本社で会議があるんですよ」
「えっ それじゃあ、また会えるんですか?」
手をつなぎ、駅に向かいながら沖田が話し始めた。

「ええ。 でもあちらの家は引き払ってしまったし、実家は会社から遠いんです」
そう言うと、セイの顔をちらっと見た。
視線に気づいたセイも、沖田を見上げる。
「もしご迷惑じゃなければ、あなたのお家にお邪魔しても良いですか?」
それを聞いたセイの顔がぱあっと明るくなる。
「もちろんです!」
「良かった。 楽しみにしてますね」
「私もです」
嬉しそうに微笑むセイを見て、沖田も笑った。
「今度連休にこちらにいらっしゃい。 その時は、USJに行きましょう」
「わぁっ 私、1度行ってみたいと思っていたんです」
「良かった。 その時は、ちょっと奮発してUSJの中にあるホテルでも取りましょう」
「本当ですか? 嬉しいっ」
セイは沖田の腕に、自分の腕をからめた。

「私、本当はすごく自信がなかったんです」
「え?」
「淋しいのは私だけなんじゃないかって」
「どういう事です?」
「だって、私はこんなにも一緒にいたいのに、沖田さんは全然そんな感じしないんですもの。 私が今日帰るのも、沖田さんはちょっとも淋しいなんて思ってくれていないんじゃないかなって…」
淋しそうに笑うセイに、沖田は眉間にしわを寄せた。
「まさか。 本当なら、このまま家に連れて帰りたいくらいですよ。 自信がないのは私の方です」
「沖田さんも?」
不安そうな顔を上げる。
「ええ。 あなたが私の彼女だなんて、未だに信じられないくらいなのに。 この数日間、本当に夢のようでしたよ。 あなたが帰ってしまったら、夢が覚めてしまうんじゃないかと思ってます」
「そんな…」
「これから、毎日メールしても良いですか?」
「もちろんです。 私もします」
「じゃあ、声が聞きたくなったら電話しても?」
「ええ。 私からもいっぱいしちゃいます」
それを聞いて、沖田はホッとした表情をした。
「それじゃあ、今日早速東京に着いたらメールくれますか?」
「はいっ! メールじゃなくて、電話します」
「楽しみに待っていますよ」
そう言うと、沖田はセイの頬にキスをした。

「お、沖田さんっ こんな街中でっ」
顔を真っ赤にしながら、微に手を当てた。
「ふふっ 我慢出来なかったんです」
「もうっ」
呆れたようにそう言いながらも、セイの顔はほころんでいる。


そして微笑み合うと、再び手を取り合い駅に向かって歩き出した。