書庫を出た沖田は、また総務部へ向かった。
何事もなく振舞ったつもりだったのだが、不自然ではなかっただろうか。
あの時の事は、お互い忘れたほうが良い。
自分のセイに対しての気持ちなど、彼女にとっては迷惑以外の何でもないのだから。
「沖田さん、処理終わってますよ」
戻った沖田を目にした女性が声をかけてきた。
「ありがとうございます」
受取証にサインをして、現金を受け取った沖田は、礼を言ってその場を立ち去ろうとした。
「あ、沖田さん」
「え?」
突然かけられた声に、沖田は振り返った。
女性は周りを見渡すと、声を落として沖田に耳打ちしてきた。
「今度、もし良かったらお食事でもどうですか?」
「はぁっ!?」
いきなりの誘いに、思わず沖田は驚いて声を上げた。
「この前営業部との飲み会でちょっとしかお話できなかったから・・ ダメですかね?」
先週、営業部の男性数人と総務部の女性とで飲み会があった。
名目上は親交の為の飲み会だったのだが、実際はただのコンパだった。
セイ以外に女性に興味のなかった沖田は、数時間いただけですぐに飲み屋を後にしたのだ。
なので、この女性の事も顔は知っているが名前までは知らない。
「私・・・ですか・・」
「えぇ、いつでも沖田さんのお暇な時で大丈夫ですよ」
「あー・・・ じゃあそのうち時間があれば声かけますよ」
「本当ですか? じゃあお待ちしてますね」
曖昧に微笑むと、沖田は総務部を出た。
名前すら知らない女性から誘われても、何とも思わない。
きっとこういう行動が、女性との出会いをなくしているのだろうと気づいてはいるのだが、どうしても行きたいとは思わない。
ふぅ っと息を吐くと、沖田は仕事をするために営業部へ戻った。
「隣良い?」
後ろからかけられた声に、セイははじかれたように振り向いた。
「あ、由香ちゃん」
同期で秘書課の由香が、手には定食を持って立っていた。
「何かあったの?」
「え? 何かって?」
「だって、ぼーっとしちゃって全くお箸動いてなかったよ」
隣に座りながら、由香がセイの顔を覗きこみながら尋ねた。
「そうだった?」
笑って誤魔化そうとするが、うまく笑えない。
お昼を食べようと社食に来たのだが、頭の中は新田や沖田のことばかりで食欲が全くわかなかった。
「何かあったなら相談してよ。 セイって悩み事とかあってもあんまり人に話さないでしょう」
「そうかな・・」
「仕事で何かトラブルでもあった?」
「ううん、全然そんなのないよ。 今のところ忙しいけど順調だし」
「じゃあ、彼氏の事とか?」
カシャン
由香の言葉に、思わず持っていた箸を落としてしまった。
「大丈夫?」
由香が笑いながら持っていたティッシュを出してセイに渡した。
「ありがとう・・」
「新田君となにかあったの?」
食事を口に運びながら、由香が尋ねた。
「何かあったって訳じゃないんだけど・・」
何をどう説明していいか分からないセイは、思わず口ごもる。
「喧嘩したとか?」
「ううん・・」
「そっか・・ 言いづらかったら無理に聞かないから。 でもいつでも話聞くからさ。 何かあったらいつでも言ってよ?」
「ありがとう」
セイは由香の言葉に力なく微笑んだ。
「あ、今度同期の皆で1泊の旅行行くんだけど、セイもどう? 皆に誘ってって言われててさ」
「旅行?」
「うん、箱根の温泉って話が出てるんだけど、行こうよ」
「温泉か・・」
セイはうーんと考えている。
「ゆっくりすればさ、嫌なことも忘れられるんじゃない?」
由香の言葉に、セイは顔を上げる。
「そっか・・・ そうだね。 行こうかな」
「やったっ! じゃあ皆に言っておくよ」
「うん、誘ってくれてありがとう」
何だか気分が少し軽くなったセイは、気を取り直して食事を始めた。
「じゃあ詳細が決まったら連絡するから」
「分かった。 待ってるね」
「じゃあ午後も仕事頑張ろうね」
そう言うと、由香はセイに手を振りながら仕事に戻っていった。
セイも自分の職場へ戻ろうとエレベータに乗った。
すると、数人の男性が入ってくる。
「・・・ぁ」
その中に沖田がいた。
沖田はセイの顔を見ると、軽く会釈する。
セイも慌てて会釈を返すが、沖田はすぐにセイに背を向けてしまった。
同じ部の人と仕事の話をしている。
何故だろう。
今朝書庫を1人置いて行ってしまったときといい、今自分に背を向けている沖田に対して何故か寂しい気持ちがあるのは。
そんな事思わなくて良いのに。
何かおかしい。
沖田の気持ちを聞いてしまったからなのだろうか。
今日会ってからの沖田は、土曜の事などなかったかのようだ。
営業部のある階につくと、沖田はセイに振り向く事なくエレベータを降りていった。
閉まったドアを、セイはしばらくじっと見つめていた。
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時雨 8