時雨 最終話
「すみません、まだ引っ越してから忙しくてちゃんと片付けとかしてないんですけど…」
そう言いながら、沖田は自分の部屋へセイを上げた。
段ボールがまだ山積みになっている部屋は、昨日今日引っ越したばかりのような状態になっている。
そんな室内を、セイは何気なく見渡した。
どこかゆっくり話せるような店でもと思ったのだが、まだ大阪に詳しくない為探し出す事が出来なかった。
もしかしたらセイは自宅など嫌がるのではないかと心配したが、"家に来ますか?"との質問に、素直に頷いた。
「ごめんなさい、ここにはほとんど寝に帰ってる状態なので、ろくなものがなくて… ウーロン茶でも良いですか?」
そう言いながら、沖田はグラスを2つテーブルの上に置いた。
「あ、いえ。 私なら大丈夫ですのでお気づかいなく。 突然来てしまった私が悪いんですから」
「・・・・大丈夫ですか?」
「えっ?」
「何かあったから、ここまで来たのでしょう? それにさっき新田と別れたって」
その言葉に、セイは俯いた。
「本当なんですか?」
尚も訊ねる沖田に、セイはゆっくりと頷いた。
「どうして? うまくいっていたはずでは?」
「・・・・・・。」
何も答えないセイに、沖田は心配そうにセイの顔を覗き込んだ。
「もしかして、それで相談に来たのですか?」
「・・・・いえ」
「では、なぜ?」
「・・・・」
沖田の問にしばらく考え込んでいたセイは、意を決して顔を上げた。
「私、好きな人が出来たんです」
「はっ?」
突然のセイの告白に、沖田は目を見開いた。
「それで… 幸二とは別れました」
「・・・・・」
あまりに驚いて、声が出ないようだ。
「すごく、好きなんです」
まっすぐ沖田の顔を見て、きっぱりと言った。
あまりに強い瞳に、沖田は目が離せなくなった。
「好きな人…ですか」
「はい」
長い沈黙が続いた。
「そうですか…」
ゆっくりと息を吐きながら、沖田は小さく呟いた。
そして、また沈黙。
「それで… なぜ私の所へ?」
漸く、ずっと疑問に思っていた事を訊ねた。
いつでも相談に乗るとは言った。
何か辛い事があれば、頼って欲しいとは言った。
でも好きな人が出来たなど、正直聞きたくなかった。
新田だから、幸せになって欲しいと思ったのに。
もちろん他の男とでも、セイが幸せだと思えるなら応援したいとは思う。
しかし、わざわざそれを報告にやってくるなんて。
久しぶりに会えた幸福感が、一気に絶望感へと変わった。
「分かりませんか」
「え?」
意外なセイの言葉に、沖田は声を上げた。
「私が、なぜここまで来たか、本当に分かりませんか?」
眉を寄せ、悲しげな表情で訊ねるセイに、沖田はドキっとした。
「な、なぜって… 私の知っている人だからですか? それとも… 大阪支店の人とか…」
しどろもどろになりながら訊ねる。
それを聞いたセイは、更に顔を歪めた。
「沖田さん… 私…」
「・・・・はい」
何か言いだそうとしたセイは、そこで言葉を止めた。
「どうしました?」
何とか言葉をつづけてもらおうと、沖田は優しく訊ねる。
「私…」
そう言うと、セイは感情が高ぶり涙が溢れてきた。
「大丈夫ですか?」
心配そうにセイに近づき、優しくセイの背中をさすった。
その優しさに、セイの瞳からは次々と涙がこぼれだす。
「どうしたんですか? あなたに泣かれると私はどうして良いか分からなくなっちゃいます」
セイの顔を覗き込み、背中に置いていた手をセイの頭に乗せた。
どうしても沖田に会いたいと思うその気持ちだけで、気が付いたら新幹線に乗っていた。
もしかしたら、沖田は既に彼女が出来ているかも知れない。
もう自分の事など何とも思っていないかも知れない。
そんな不安もあった。
それでも、会いたいという気持ちは止められなかった。
例え迷惑がられて、帰れと言われても良かった。
それなのに、やはり沖田はこんなにも自分に優しくしてくれる。
「沖田… さん…」
ズッと鼻を鳴らしながら、セイは小さく沖田の名を呼んだ。
「何です?」
「前に・・ 私に言ってくれた言葉は、まだ有効ですか」
「前?」
セイの言っている事がいつの事なのか分からない沖田は、不思議そうに訊ねた。
「その… 観覧車で言ってくれた言葉です・・」
顔を赤らめながら訊ねるセイをしばらく見ていた沖田だったが、何の事なのか理解して、沖田も顔が熱くなってきた。
「え… そ、それって… あの…」
思わずセイから手を離してしまった。
「もう、私の事なんて嫌いになりましたか」
涙でぬれた瞳で見つめてくるセイに、沖田は更に顔を赤らめた。
「き、嫌いになんてなるはずないじゃないですかっ!」
「じゃあ・・・ どう思ってますか」
こんな質問、ずるいってことは分かっている。
それでも聞きたい。
「ど、どう思ってるって…」
沖田は困ったように視線を彷徨わせた。
「沖田さんに会いに来たんです」
「えっ?」
「私、沖田さんに会いたくて、ここまで来たんです」
「!!」
驚いた沖田は、一瞬思考が吹っ飛んだ。
「ま、またあなたは… そういう言葉は簡単に言ってはいけないと前にも…」
「違うんです!」
「・・・・」
強い口調に、思わず口をつぐんだ。
「簡単にではありません。 私の本当の気持ちです」
「本当の気持ち?」
「ええ。 私の好きな人は… 沖田さんなんです」
「はい?」
頭の中が、真っ白になった。
セイの言っている意味が、全く理解できない。
「沖田さんと離れてから、毎日あなたの事考えてました。 すごく会いたくて会いたくて… 忘れようと思ったのに、どうしても出来なかったんです」
「神谷さん・・・・」
「沖田さんは・・ まだ、私の事思っていてくれていますか? それとも私の気持ちは迷惑ですか?」
「迷惑なはずがありません… というか… 本当ですか…」
信じられないという顔で、沖田は訊ねる。
「はい。 本当は、沖田さんが大阪に転勤すると決まった時からずっと好きでした」
「・・・・・・」
何も言えず、沖田はぼーっとセイの顔を見つめている。
「新田は…? この事知ってるんですか?」
「はい、幸二が行けって言ってくれたんです」
「え? 新田が?」
そう聞き返して、沖田はふと新田の言葉を思い出した。
『悔しいけど、俺はきっぱり諦めて、お前に譲ることにした』
「あ…」
やっと、新田の言っていた言葉の意味を理解した。
「もしかして、あいつは・・・・」
ぼそっと言った言葉に、セイはこっくりとうなずいた。
「はい、幸二はずっと私の気持ちに気づいていました」
「そんな…」
全身の力が抜けるのが分かった。
「あのっ」
「え?」
「その… 沖田さんは… 私の事、どう思ってくれていますか」
なかなかハッキリと言葉に出さない沖田に、とうとうセイは訊ねた。
真っ赤になってセイの顔を見つめていた沖田だったが、しばらくしてふふっと笑った。
そして、セイの腕を引き、ぎゅっと抱きしめた。
「大好きです。 あなたが私の事を好きでいてくれただなんて、今でも信じられないくらいです」
「沖田さん…」
セイは沖田の胸に顔をうずめた。
「仕事はどうしたんですか?」
「有給取ってしまいました…」
セイの作った夕食を食べながら、沖田は訊ねた。
すっかり甘い空気に使っていた2人だったが、実は何も食べていない事に気づき、慌てて近くの24時間営業のスーパーに食材を買いに出かけた。
「有給って… いつまでです? 明日?」
「いえ、今週いっぱい…」
「ええっ!? 今日まだ火曜日ですよ??」
驚いて、口の中のものを噴き出しそうになった。
「そんな事まで考える余裕なくって… とにかく会いたいと思ってしまったので…」
「っ!!」
セイの言葉に、一気に顔を赤らめる。
「あの… お休みの間、ここにいさせてもらっても良いですか? それともご迷惑ですか?」
おずおずと訊ねるセイに、更に沖田は顔を真っ赤にした。
「ここにって…」
「やっぱりダメですか…」
しゅんとして下を向くセイの手を、沖田は優しく掴んだ。
「ダメな訳がないでしょう? いてくれるなら大歓迎です。 というよりも、ずっといて欲しいくらいです」
「えっ」
セイは顔を上げた。
「その… あなたの事、彼女だと思っても良いんでしょうか」
「!!」
散々恥ずかしい事を言っていたにも関わらず、改めて言われると、更に照れてしまう。
「・・・・はい」
その言葉に、沖田は満足そうににんまりと笑う。
「やっぱりあなたの作る食事は美味しいですね。 おかわりしても良いですか?」
「はい、もちろんです」
「ついでに、ご飯食べ終わったら、いっぱいあなたの事抱きしめても良いですか?」
「はっ… はい?」
驚いて顔をしかめたセイに、沖田はニコニコとセイの顔を覗き込んだ。
「もう私、遠慮しなくても良いんですよね?」
「え、遠慮って…?」
「いえ、それはこれからじっくり分からせてあげますよ」
キョトンとして訊ねるセイに、沖田は嬉しそうにそう言いながらパクっと食事を口にした。
徐々に意味を理解したセイは、ボッと顔を赤らめた。
しかしセイの心の中はとてもほんわかとしていた。
この1カ月間のもやもやが、全て吹き飛んだかのようだ。
「明日、沖田さんがお仕事の間にこのお部屋少し片付けますね」
「本当に? そんな事しなくても良いですよ」
申し訳なさそうにそう言う沖田に、セイはふふっと笑った。
「だって、少しの間だけでも私いさせて頂くんですもん。 早速彼女として何か出来ると思うと嬉しくて」
その言葉に、沖田は驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そう言ってもらえるならお願いしても良いですか? 仕事から帰ってきたら部屋にあなたがいるだなんて、こんなに幸せな事はないですね」
「そんな… ありがとうございます」
お互い顔を見合わせて、笑った。
「そうだ。 土曜一緒に大阪観光行きましょう。 私、まだどこも行ってないんですよ」
「本当ですか? 嬉しいっ!」
「大阪にも大きな観覧車があるって聞いたんですけど、行きますか?」
セイは顔を輝かせた。
「はいっ!」
「良かった。 楽しみですね」
微笑み合って、指を絡めた。
「これから、沢山想い出作っていきましょうね」
「はい」
沖田はセイの頬を包み込み、顔を寄せた。
色っぽいその表情にドキリとしながらも、セイはゆっくりと目を閉じた。
終わり
