時雨  40話






「課長」

「・・・・・・・」

「課長?」

「・・・・・・・」

「沖田課長!」

「は、はいっ!!」

仕事に集中していた沖田は、呼ばれた声に慌てて顔を上げた。
そこには、困ったような顔をした山元理沙が立っていた。

「もう、課長。 いい加減自分が課長っていう事自覚してくださいよ」
呆れたようにそう言う山元に、沖田は頭を掻いて苦笑いした。
「すみません… なかなか慣れなくて」
「それよりも、昨日お願いした企画書に目通してくれたんですか?」
「ああ、ちゃんと見ましたよ。 大丈夫です。 このまま上に上げてもらえますか?」
そう言いながら、沖田はトレーに入れてある書類を山元に渡した。
「ありがとうございます。 沖田課長は仕事が早いから助かります」
大阪の独特なイントネーションの山元に、沖田は戸惑いながらも恥ずかしそうに笑った。
「いえ、全然早くないですよ。 今はまだみなさんについていくのに必死で逆に迷惑かけていないかと心配しています」
「あははっ 充分です。 あ、そうや。 今週中に課長の歓迎会開こうと思ってるですけど、金曜とか夜空けてもらう事出来ますか?」
「ええ、私はどうせ暇ですし、いつでも大丈夫ですよ。 気を使ってもらってありがとうございます」
「とんでもないです。 じゃあ場所と時間決まったら連絡させてもらいます。 企画書、ありがとうございました」
そう言うと、山元は自分の席に戻って行った。

それを見送ると、沖田は再びモニターに目を移した。


大阪へ移ってきてから1カ月ちょっとが経った。
未だに大阪弁に慣れる事が出来ず、戸惑ってばかりだ。
前任者の引き継ぎも3日のみで、仕事の内容も1から覚えなおしということもあり、毎日へとへとだった。

家に帰って1人になると、決まって思いだすのがセイの笑顔だった。
声が聞きたい。
顔が見たい。

今頃どうしているのだろうか。
新田とはうまくやっているだろうか。
そんな事ばかり考えてしまう。
これまで彼女の笑顔を見るだけで癒されていたのだと、今になって気付いた。

セイと最後に2人きりで会ってしまった事を、今となっては心から後悔している。
あの日、観覧車の中で見たセイがあまりにも可愛くて、よほど抱きしめてしまおうかと思った。
思わず言わなくて良い事を告白してしまった。
あのまま会わずに大阪へ来ていれば、少しは諦めがついたのに。
あんなに楽しい時間を過ごしてしまうと、また会いたいと思ってしまう。
声だけでも聞きたくて、何度も電話を手に取った。
しかし新田の事を考えると、どうしてもそれは出来なかった。

はぁっと一息つくと、再びキーボードをたたき始めた。








「今帰りですか?」
オフィスを出た所で、またもや山元が声をかけてきた。
「山元さん。 オフィスにいなかったですけど、仕事してたんですか?」
最後にオフィスを出た沖田は、背後から声をかけてきた山元に訊ねた。
「サーバールームにいたんです。 明日までに送らないといけないデータがあったので。 今終わったんですよ」
「そうなんですか。 お疲れ様でした」
2人は並んで廊下を歩きだした。

「もうこっちには慣れました?」
山元がにっこりほほ笑みながら訊ねる。
「いえ、まだまだですね。 何より、こちらの言葉に慣れませんね」
そう言うと、沖田はあははっと笑った。
「田所課長も初めはそんな感じやったみたいですよ。 でも最近はすっかり馴染んでたみたいです。 たまに関西弁になってましたから」
「本当ですか? じゃあ私もそのうち関西弁しゃべっちゃったりするんですかね?」
「沖田課長の関西弁、聞きたいですね」
2人は顔を見合わせて笑い合った。

その後も、色々会社の事について教えてくれる山元の話に耳を傾けながら、沖田は何気なく横顔を見た。



ちょっと・・・・似ている。



はっきりとした目鼻立ちに、黒くて長い髪。
話し方や気の使い方まで、どことなくセイに似ている。
何も分からず戸惑っていると、いつもさりげなく沖田のサポートをしてくれている。
全てが沖田には山元とセイがダブって見えていた。

「お休みの日は大阪の街に出たりしてはるんですか?」
「え? 休みの日ですか? いえ、疲れて1日家でゴロゴロしているので、まだどこにも行ってないんですよ」
「そうなんですか? せっかく来たのにもったいないですねぇ。 私が東京に転勤になったら、絶対毎週休みの度に観光いきますよ」
「それは住んでいないからそう思うんですよ。 実際住んだら、いつでも行けると思ってしまうから、行きたいとは思わないですよ」
「ああ、確かに」
「でも1度新喜劇は見に行きたいと思ってますよ」
沖田の言葉に、山元はプッと噴き出した。

「あー、何で笑うんですよ」
「だって新喜劇って」
山元はケラケラと笑いだした。
「良いじゃないですか。 生で見れたら、きっと感動するんだろうな」
「じゃあ今度ご案内しましょうか?」
「え?」
山元の言葉に、沖田は思わず声を上げた。
「だって、行った事ないんでしょ? 初めてで1人は行きづらいんと違います?」
「ああ、そうですね。 じゃあ今度お願いしますよ」
そう言いながら、ビルを出た沖田の目に、信じられないものが映った。


えっ・・・・?




沖田は自分の目を疑った。

ビルの前にある花壇に座っている人物。


「・・・・・・」
思わず立ち止まってそちらを凝視してしまう。

「? 課長どうかしはったんですか?」
突然口をつぐんで立ち止った沖田に、山元は不思議そうに振り返った。


「かみや・・・さん・・・」
「え?」
訳が分からないという顔をして、沖田の視線の先を目で追う。



視線を感じたその人物が、こちらを振り返った。

「あっ」
小さく声を上げたのが、口の動きで分かった。


そこにいたのは、間違いなくセイだった。
「何で…」
あまりに驚いて、それ以外口にする事が出来ず、その場から動く事も出来ない。


こちらを振り返ったセイは、慌てて立ち上がると、沖田と山元の姿を交互に見た。
そして2人に向かって一礼すると、その場を足早に立ち去ろうとした。

「神谷さん!」
そう叫ぶと、山元に"ごめん"と手の動きを見せて、沖田は慌ててセイを追いかけようと走り出した。

その場に1人残された山元は、不思議そうに2人が去った方向を見ていた。




「神谷さん!」
沖田が必死で追いかけようとするが、意外に足が速いセイになかなか追いつけない。

「ま、まってっ」
数十メートル走った所で、沖田はやっとの事でセイの腕を掴んだ。

腕を掴まれたセイは、断念したのか漸く立ち止った。
2人は息を切らせながら、しばらく何も言わずその場に立ち尽くした。



「ど・・・ どうして・・・ こんな所に?」
息を整えながら、セイに訊ねる。

「・・・・」
こちらを見ようともせず、沖田の質問にも答えない。
「神谷さん?」
呼びかけながらセイの手を引き、こちらに振り向かせた。

振り向いたセイの顔を見て、沖田はそれだけで胸が熱くなった。
久しぶりに見たセイに、愛しさが込み上げてくる。
しかしそれ以上に、なぜここにいるのかという疑問の方が大きかった。

「すみません・・・ 突然来てしまって・・・」
「いえ、そんな事は全然大丈夫です。 でも、なぜこんなところに? もしかして、観光ですか?」
「・・・・・・・」
ありえない質問に、思わずセイは口を噤んでしまった。
「あ、さては新田と2人で私を驚かせるつもりだったんじゃないんですか? あいつはどこです?」
そう言いながら、沖田は周りをキョロキョロと見渡した。

「幸二はいません」
「えっ?」
「1人で来ました」
その言葉に、沖田は目を見開いた。
「1人でって・・ なぜ」

うつむき加減だったセイは、バッと顔を上げた。

「沖田さんに会いに来たんです」
「私に・・・?」
「どうしても、伝えたい事があって来てしまいました」
潤んだ瞳で訴えかけるセイに、沖田は思わず顔を赤らめた。

久々に会った上、あまりにも可愛らしい姿に、沖田は思わず顔を背けた。

「どうしても伝えたい事って… な、何でしょうか…」
思わずしどろもどろになってしまった。

「沖田さん、言いましたよね?」
「えっ」
「困った事があれば、何でも相談に乗ってくれるって」
「ええ… 言いましたけど…」
そこまで言うと、沖田はハッとした。

「まさか、また新田の奴…」
俄かに怒気を含んだ声で、ボソッとつぶやいた。
その言葉に、セイは首を振った。

「いいえ。 幸二は何もしてません。 というより、私と幸二は別れたんです」
「ええっ!?」
沖田は思わず声を上げた。

「本当に? いつ??」
セイの肩を掴んで訊ねる沖田に、セイは苦笑いした。
「あ、あの。 沖田さん…」
周りの目を気にするように、沖田に目で訴えかけた。

「あ・・ ご、ごめんなさい」
恥ずかしそうに、沖田はセイから手を離した。

「ここでは何ですから… どこかゆっくり話せる所へ場所移動しましょう」






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