時雨 38話
「では最終案が出来ましたら、改めて書類を送付いたします。 宜しくお願い致します」
電話を切り取引相手と話した事をまとめようとキーボードに手を置いたその時、内線がなった。
「はい、神谷です」
取ると相手は新田だった。
「お疲れ。 今平気か?」
「お疲れ様。 どうしたの?」
「前言ってた打合せの資料さ、直して欲しい所があるんだけど、軽く打合せ出来る?」
「大丈夫だよ。 10分くらい待ってくれる? 営業部に行けば良い?」
「あー、いや。 リフレッシュルームにしよう」
「了解。 じゃあ10分後にリフレッシュルームね」
そう言うと、急いでまとめようとパソコンに向き直った。
沖田が大阪へ転勤してから1カ月が経った。
会社という所は、誰かがいなくなっても何事もなかったかのように毎日過ぎていく。
それをセイは悲しく思いながらも、仕方がないのだと自分を納得させようとしていた。
あれから新田とは少しぎこちなさは残っているものの、職場の仲間としては以前のように接する事が出来るようになった。
1度だけ、沖田とどうなったのか訊ねられたのだが、何もなかったと答えたセイに、複雑な顔をしていた。
「あ、ごめん。 待たせちゃった?」
リフレッシュルームに着くと、既に新田は資料をテーブルの上に出してコーヒーを飲みながら待っていた。
「いや。 時間あったから早めに来ただけ。 ずっとオフィスいたら息が詰まるだろ?」
「あははっ 確かに」
笑いながら、セイは新田の向かいに座った。
「もう軽口叩ける相手もいないしな」
その言葉に、セイは何も言わず笑顔を返した。
「で、この資料だけどさ、このページのこの部分のグラフを変えて欲しいんだよね」
「これ? 再計算し直すの?」
「うん。 後でファイルのある場所教えるから、そこからデータひっぱってくれる?」
「分かった」
セイは、新田の言葉を丁寧にメモっている。
「それとこの部分。 全体的にアピールが弱いかな。 もっとインパクトある感じに出来ない?」
「んー… ちょっと考えてみる」
「うん、宜しく。 全体的には良くできてると思うから。 悪いんだけど、その部分だけやり直してくれるかな」
「分かった。 明日までには作り直すね」
「助かるよ」
そう言うと、新田は持っていたペンをシャツのポケットにしまった。
「連絡とか取ってんの?」
「は?」
突然の新田の問に、資料にメモを取っていたセイは顔を上げた。
「あいつとさ。 電話とかしてないの?」
新田の言っている意味が分かったセイは、「ああ・・」と言って視線を落とした。
「ううん、何も。 あれっきりだよ」
「ふうん… そうだろうとは思ったけどさ」
その言葉に、セイはふふっと笑った。
「良いの。 別に私は沖田さんと付き合いたいとかそういう事思って幸二と別れた訳じゃないから」
「そんな事言われたら、俺の立場がねえな」
「あ… ごめん」
「いや、素で謝られても困る」
あははっと笑いながら、セイの顔を見た。
「俺と別れた事も言ってないんだろ?」
「うん。 何か言い出せなかった」
「ふうん… 1回連絡取ってみれば?」
セイは目を見開いた。
「何で?」
「何でって… 好きなら普通声が聞きたいとか会いたいとかあるんじゃないの?」
その言葉に、セイは頬を赤らめた。
まだ別れて1カ月も経っていない元彼からそんな事を言われると、照れと同時に複雑な気分になる。
素直にそうだよとは言いづらい。
「俺が何のために諦めたかわかんねーじゃねーか」
「そういう・・・もんなの?」
「当たり前だろ。 俺がどんだけ悩んだか分かるか?」
「・・・・」
「絶対別れたくないって思ったのに。 でもそれ以上に、セイが幸せになるのを見たいと思った」
「え?」
「俺と一緒にいても、セイはきっと幸せになれないんだろうなって思った」
「・・・・」
「だから、沖田と連絡取れよ。 きっとあいつも待ってると思うからさ」
いたずらっぽく笑った新田の顔を、セイはまじまじと見た。
「何か… 幸二、変わった?」
付き合っている時から、新田は優しくて冗談も言う面白い人間だった。
しかし、今話している新田は、以前よりも角ななくなったような、丸い印象を受ける。
「そう? 良い男になった?」
冗談めかして言う新田を、さらにセイはじっと見た。
「うん。 なった」
・・・・・・・・・・・・・。
しばらくの沈黙の後、突然新田がぶっと噴き出した。
「お前…」
腹を抱えながら笑っている新田を、セイは不思議そうに見ている。
「え… 何で笑うの?」
笑われてる理由が分からないセイは、首をかしげた。
「いや… 本当にセイって天然だなって」
「え? 私が?」
「どうせ沖田にだって、そう言う事言ってたんだろ?」
「はあ??」
思わず驚いて声を上げてしまった。
「それが本音だとしても、そう言う事あんま男に言うなよ」
「??」
「男を勘違いさせるからな。 うっかり、今もしかしてセイはまだ俺の事好きなんじゃないかって思っちゃったよ」
「ええっ!? それはない!」
思わず叫んでしまったセイは、慌てて口に手を当てた。
「お前! 余計傷つくわ!」
「ご、ごめん」
新田は呆れたようにため息をついた。
「いや、良いけどさ。 でも沖田の事好きなら、ちゃんと気持ち伝えろ」
「・・・・」
「じゃないと、俺が辛い。 あいつだからセイの事諦めようと思えたんだし、それにセイが幸せになるのも見たいしな」
「幸二…」
セイは信じられないという顔で新田の顔を見た。
「それに、早くしないと誰かに取られるかもな」
「え?」
「お前は知らないかもしんないけどさ、あいつって結構モテんだぜ」
「そうなの?」
そう訊ねたものの、ふっと頭に総務の女性が浮かび、納得した。
「いくら誘われても、誰とも付き合ったりしなかったけどな。 今となってはそれがお前が理由だったって分かるけど、前は何でそう頑なに女作んないのか不思議でしょうがなかったな」
「へぇ…」
セイは、恥ずかしそうに下を向いた。
「その様子じゃ、沖田もお前の事好きだったの、知ってるんだな」
「・・・・・」
「何でお前らってそうなんだよ? 見ててこっちがイライラする」
「そんな事言わなくたって…」
ぷくっとほっぺを膨らませて、新田を睨む。
「大阪行って、俺とお前が付き合ってるって思ってるってことは、あいつもそろそろ本気で彼女作ろうとするかもな」
「!?」
「1人いるみたいなんだよ。 あっちにすんげー可愛い子が。 しかも、彼氏いないんだってよ。 性格も良くて、人懐っこいらしい」
「へ、へえ…」
「沖田と入れ違いにこっちに来た奴に聞いたんだけどさ。 良いのか? 取られても」
「そんな事言われても…」
「ま、良く考えな」
「・・・・」
「じゃあ俺はそろそろ行くわ。 かなり話反れたけどさ、この書類頼んだ」
そう言いながら、新田は立ち上がるとセイの肩に手を置いた。