時雨 32
「カンパーイ」
一同が口々に唱和し、いきなり無礼講のごとく宴がたけなわになる。
幹事で司会までかって出た新田が、店員と一緒になって料理や酒を注文したり運んだりと忙しそうにしている。
それを横目で見て感謝しながらも、周りの同僚達からの別れを惜しむ言葉や祝福の言葉に耳を傾けていた。
「それにしても急だったよな。 準備大変だったんじゃないの?」
ビールを口にしながら、先輩営業マンが話かけてくる。
「ええ、そうですね。 田所さんがご家庭の事情で急きょこっちに戻らないといけなくなってしまったようですよ。 その為の代替え要員です」
「そんな事言って、ちゃっかり出世してんじゃねーか」
そんな事を言いながらも、沖田の肩をバシバシ叩いている。
沖田は苦笑いしながらその言葉を受け流した。
今朝、中川の退社が上司から部内の人間に伝えられた。
事情は一身上の都合だと言っていた。
その話を聞いた瞬間、思わず新田を見ると、視線に気づいた新田も沖田に振り向いて苦笑いを浮かべた。
きっと、新田が原因なのだろう。
中川とは仕事以外ではほとんど話した事はないが、おとなしいというイメージしかなかった。
だがやはり同僚が辞めてしまうというのは淋しいし、残念に思う。
新田はどう思ったのだろうか。
少しは淋しいと感じたのだろうか。
それとも、正直清々したと感じただろうか。
本人に聞いていないので、それは分からない。
酒もすすみ、しばらく色んな人間と話しをしていたのだが、ふと新田の姿が見えず周りを見渡した。
「あっ・・」
視界に入った新田は、隅の方で誰とも交らわず1人でちびちびと飲んでいる。
沖田は周りにいる人間にひと言声をかけ、グラスを手に持つと新田の元へ近づいた。
「お疲れ」
沖田の言葉に顔を上げた新田のグラスに自分のグラスをチョンと当てると、新田の隣に座った。
「何1人で淋しく飲んでんだよ。 俺の送別会だろ?」
口角を上げながら、意地悪な笑みを浮かべて新田を見た。
「ああ、すまん。 働きすぎて疲れた」
新田の言葉に、沖田はあははっと笑った。
「それは申し訳ない。 おかげで楽しんでるよ」
「それなら良かった」
新田も笑顔でグラスを傾ける。
しばらく2人とも無言で酒を口にしていたが、新田が小さく息を吐いた。
「どうした?」
「ん・・・ いや、何でもない。 ただ来週から沖田は大阪行っちゃうんだなと思っただけ」
「あははっ 何今さらそんな事言ってんだよ」
「そうなんだけどさ」
そう言うと、再び新田は口をつぐんだ。
そんな新田を見て、沖田は不思議そうに顔を覗き込んだ。
「何かあった?」
「いや? 何も?」
そうは言うが、新田の顔は晴れない。
しかしそれ以上深く訊ねる事も躊躇われて、諦めた。
「あ、そう言えば神谷さんから聞いた?」
「えっ?」
セイの名前に敏感に反応した新田は、驚いて顔を上げた。
「明日か明後日くらいに、神谷さんを食事に誘ったんだけど、聞いてない?」
「いや・・ 聞いてない」
更に沈んだ新田の表情に、沖田は焦った。
「そ、そう。 この前病気になった時色々してもらったからさ、お礼に食事でもって言ったんだ。 新田に話すって言ってたから聞いてるかと思って。 でももしお前がダメだって言うなら、やめるけど?」
以前は残業終わりなど一緒になると、良くセイと2人で食事に出かけていた。
その事は新田も知っており、特に気にする様子もなかったのだが、やはりヨリを戻したばかりの不安定な今、2人で行くことを良く思っていないのかも知れないと、沖田は自然と早口でまくし立てた。
新田はじっと沖田の顔を見ていたが、やがて力なく笑った。
「別にダメなんて言わないよ。 最後だしな。 楽しんできてくれ」
その言葉に、沖田はホッと息を吐いた。
「良かった。 早めに帰るようにするから。 ただ、最後にお礼だけはしたかっただけだからさ」
「分かってるよ」
そう言って笑いあった時、遠くから沖田を呼ぶ声が聞こえた。
「おーいっ! 主役のひと言がねえぞーっ!」
「やばっ 他の皆ほったらかしにしてた」
「俺なんか、幹事の仕事忘れてのんびりしてたよ」
2人は慌てて立ち上がると、皆の輪の中に急いで向かった。