時雨  31





携帯を手にすると、掛けなれた名前を呼びだす。
しばらく画面を見つめながら考えていたが、意を決して通話ボタンを押した。


「もしもし」
数コール目で相手が出た。
「・・・幸二?」
「うん、どうした?」
いかにも寝起きの声で、新田が訊ねた。
「ごめんね、遅い時間に。 寝てたよね?」
セイは申し訳なさそうにそう言った。
「ん・・・ 大丈夫。 それよりもセイからかけてくるなんて珍しいじゃん」
電話口の向こうからは、かさかさと音がする。
新田が電話をしながら布団から起き上がったのだろう。

「どうしても幸二に話しておきたい事があって」
「話しておきたい事?」
「少しだけ、良い?」
「・・・・何?」
セイは、小さく深呼吸した。

「もう・・・ 私にこれ以上構わないで欲しいの」
「・・・・」
息を飲む音が聞こえた。

「ごめん。 いくら幸二が私の事待ってくれても、私はもう幸二の事好きにはならない」
「セイ?」
「だから、帰りに私を待ったりお昼に誘ったりとかしないで欲しいの」
「セイ、ちょっと待って」
新田の声が、焦っている。
「これ以上は本当に無理なの。 お願い、分かって」
「セイ、会って話そう。 俺の気持ちもちゃんと伝えたいし」
その言葉に、セイは小さく息を吐いた。

「会って話す気はない」
「セイ、頼む」
必死にそう訴えてくる新田の声に、セイの胸が痛んだ。
しかし、どうしても新田に対して以前感じていた愛しいという感情が湧いてこない。



「幸二・・ 実はね・・ 私、好きな人がいるの」
「え」
打ち明ける気など、なかった。
しかし、こうでも言わなければ新田は諦めてはくれないだろう。
傷つける事になると分かっていても、言わずにはいられなかった。


「だから、幸二とはもう付き合っていけない」
「・・・・」
「分かって・・・くれる?」
「・・・・」
何も返って来ない電話に、再度話しかけてみる。
「幸二?」
「・・・・・・・気付いたのか?」
「えっ?」
新田の言葉の意味が分からず、セイは聞き返した。
「あいつの事好きなことに、気がついたんだな」
「あ、あいつって?」
新田の言葉に、セイは動揺した。
どういうことだろう。

「沖田・・・だろ?」
「っ!?」
新田から出た沖田の名前に、セイは驚いた。

「な・・・んで・・」
「気付かないとでも思った? セイが沖田の事好きなことも、セイ自身がその気持ちに気づいてないことも、最初から俺は分かってたよ」
「え・・・」
セイは電話を握りしめたまま固まった。
「出来れば、セイが気づかないうちに沖田がいなくなってくれればと思ってたけどね」
「・・・・・・」
「そうすれば、セイは絶対俺の元に戻ってくるって思ってた」
「幸二・・」
あまりに驚いて、考えがついていかない。
新田は、自分と沖田を離すために、沖田を大阪へ行かせたという事なのだろうか。

「セイがさ、あいつの家にいたのを見た時にすぐに分かった。 お前はそんな気はなかっただろうし、あの時はただ看病に行っただけだって否定するかもしれないけど、セイは好きでもない男の家にあがりこむような女じゃない」
「あ・・」
確かにそうだ。
もしあの時新田と何の問題もなくうまくいっている状態なら、いくら沖田が倒れたからといって1人で沖田の家に行くような事はしなかっただろう。
今になって、そんな事に気がついた。


「・・・・・セイ」
新田は静かに呼びかけた。
「・・・・・・。」
何も言わないセイに、新田は続けた。
「沖田は、もうすぐいなくなるんだ。 大阪へ行けば、当分は帰って来ない。 それでも沖田が良いのか?」
「・・・・・・うん」
「良く考えてくれ。 俺はもう絶対にセイの事を裏切らない。 セイが望むような男になる。 だから・・」
「幸二」
セイはキツイ口調で、新田の言葉を制した。
「私、自分の気持ちに気づいて今はまだ戸惑ってる。 まさかって自分でも思ってる。 でもどうしようもなく好きなの。 だから、もう幸二とやり直すことは出来ない」
「・・・・・」
何も言わない新田に、セイは静かに告げた。

「お願いします。 私と別れて下さい」
















異動が決まってから、2週間が経った。
来週には東京を離れる。
沖田は毎日引き継ぎの為に残業続きの忙しい日々を送っていた。
仕事に追われ、セイの事を考える余裕もなくなっている。
このまま大阪へ行けば、セイの事は忘れられるのではないかと小さな期待を持てるようになった。

「沖田、今晩だけど大丈夫そう?」
新田が声をかけてきた。
「あ、うん。 もちろん。 今日は早めに仕上げるつもりでいるから大丈夫」
「なら良かった。 8時から店予約してるからさ」
「サンキュー、楽しみにしてるから」
「おう」

沖田は一息つこうと、席を立った。
喫煙室に向かう前に飲み物を買う為に自販機へ寄る。
コーヒーを買い取りだすと、振り返った。

「あ」

そこには、数日ぶりに見るセイが立っていた。

「お、お疲れ様です」
そう言うと、セイはその場を立ち去ろうとした。
「神谷さんっ」
思わずセイを呼び止めた。
セイは立ち止り、ゆっくりとこちらを振り向いた。

やはり久しぶりにセイの顔を見ると、愛しさが込み上げてくる。
「はい・・」
小さな声で返事をするセイに、沖田は苦笑いした。
どうもあれ以来避けられているような気はしていたが、セイの反応を見る限り気のせいではなかったようだと思う。

「もし忙しくなければ、少しお話しません?」
そう言うと、沖田は自販機の前に置いてあるソファに座った。
しばらく沖田をじっと見ていたセイだったが、小さくうなづくと沖田の隣に少し距離をとって腰を下ろした。



「もうすぐお別れですね」
そう言うと、沖田はコーヒーをひと口飲んだ。
「・・・そうですね」
下を向いたまま小さく答えるセイに、沖田は首をかしげた。

「あの・・ もしかして、私何かしちゃいました?」
「え?」
「私の事、避けてません?」
苦笑いしながらそういう沖田を見上げた。
「そんな事・・」
「そうですか? あの日も突然走って帰っちゃうし。 私あなたに何かしてしまったのかと心配してましたよ」
「すみません・・ あの時は本当に気分が悪くなってしまったから・・」
申し訳なさそうにそう言うセイに、沖田は微笑んだ。
「そっか・・ それなら良かった。 そうだ、あなたさえ嫌じゃなければ、最後にお食事でもいかがですか?」
「えっ??」
セイの心臓がドキリとした。

「ほら、前に看病してもらった時のお礼、まだしてなかったなと思って。 大阪行く前にきちんとお礼したかったんです」
「そんな、お礼なんて・・・」
「私なんかと食事するのは嫌ですか?」
「まさか、そんなっ」
慌てて顔をあげた。
「じゃあ、良いんですよね?」
「・・・・・」
「もし2人が嫌なら、新田も誘いましょう。 3人なら良いでしょう?」
「幸二・・・も?」
セイの顔が曇る。
「ええ、新田ももしかしたら私と神谷さんが2人で食事行くなんて気分が良くないかも知れませんから」
「いえ・・・ だったら2人が・・ いいです」
「え?」
「幸二には私からちゃんと言います。 だから2人で行きたいです」
セイの言葉に、沖田は驚いたように目を見開いた。
そしてにっこりとほほ笑む。

「分かりました。 では2、3日くらいの間に夜時間空けます。 都合がついたらまた連絡しますので、美味しいもの食べに行きましょう」








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