時雨  30





「神谷さん、今日はまたひどい顔してるわね。 もしかして寝てないの?」
オフィスに行くと、またもや真奈美が心配そうに声をかけてきた。
「おはようございます。 いえ、そんな事ないですよ。 ちょっと体調がすぐれないだけなので」
視線を合わせないようにそう言うと、セイは自分の席に着いた。


一睡も眠る事が出来なかった。
きっと沖田は変な風に思っただろう。
あの時、自分でも驚くほど取りみだしてしまった。

沖田への恋心を自覚したことと、突然の彼の転勤に激しく動揺した。
そして新田の沖田に対する嘘にもショックを受けていた。



「ぁ・・・・」

パソコンを開くと、全社員へ送られた異動報告のメールが入っている。

そこには沖田の名前に加え、大阪から異動してくる者の名前、そして他の営業所での異動者の名前が書かれていた。
しばらくじっと沖田の名前を眺めていた。

きゅっと唇をかみしめて、メールを閉じようとしたその時。

「沖田くん異動するんだってね」
後ろから真奈美がセイのパソコンを覗き込みながら話しかけてきた。
「あ、ええ。 そうみたいですね」
「神谷さんだから話すけどさ、この話本当は新田くんにも来てたらしいよ」
「えっ?」
セイは驚いて後ろを振り向いた。
そんなセイに、真奈美はウインクした。
「良かったね、新田くんじゃなくって」
「あ、あの・・・  幸二にも話がきてたって・・・」
「うん、2人同時に話があったんだって。 それで2人で決めて沖田くんに決まったらしいよ。 昨日夜うちの部長と営業部の部長が話してるの聞こえちゃった」
「・・・・・・そうなんですか」
俯いて静かにそう言ったセイを見て、真奈美は不思議そうに首をかしげた。
「どうしたの? もしかして、新田くんと一緒に大阪行きたかったとか?」
「えっ!? いえ、まさかっ」
慌てて首を振ったセイに、真奈美は噴出した。
「あははっ そんな大阪を嫌わなくても」
「ち、違います! そんなんじゃないですっ」
「そう? ま、とにかく新田くんじゃなくて良かったね」
「そうですね」
セイは悲しそうに笑うと、再びパソコンに向かった。

もう1度メールに書かれている沖田の名前を見ると、ゆっくりとメールを閉じた。









報告をまとめながらも、沖田は昨日のセイの事を考えていた。
突然走って逃げるように帰っていったセイ。
一体どうしたのだろう。
よくよく思い出してみると、昨日会ったときから様子がおかしかったように思う。

もしかして、また新田と何かあったのだろうか。
しかし、昨日彼女の口から仲直りしたと聞いたのだ。
セイのプライベートなど知らない沖田は、新田以外のことで思い当たるような事があるはずもない。

「なあ、新田」
「え?」
隣で黙々とパソコンにデータを打ち込んでいる新田に声をかけた。

「昨日神谷さんと話したんだけどさ・・」
そう言うと、新田はバッとすごい勢いでこちらを振り返った。
「セイと?」
「あ、うん」
新田の反応に驚きながらも、沖田は返事を返す。
「そ、それで?」
「うん、何か様子がおかしくてさ。 何かあったのかと思って」
「様子が・・ おかしい?」
「もしかして新田とまた喧嘩でもしたのかと思ったんだけど、違う?」
「・・・いや、特にそんな事はない」
「そっか。 じゃあやっぱ気のせいかな。 友達と飲んでたって言ってたし、飲みすぎて気持ち悪くなっただけかもな」
「・・・・・」
新田は何も言わず、じっと沖田の顔を見ると再びパソコンに向き直った。

沖田とセイがどんな話をして、セイがどんな風に沖田に対して振舞ったのかが気になった。
しかしそれを深く訊ねる訳にはいかない。
沖田の話を聞く限りでは、セイの口から何も聞いていないという事だろう。
嘘をついている後ろめたさから、新田はそれ以上セイの話を続けたくはなかった。




「あ、そうだ。 来週辺り送別会やろうと思うんだけど、沖田の都合はどんな感じ?」
「何? 新田が幹事やってくれるの?」
笑いながら訊ねる沖田を見て、新田もニヤっと笑った。
「当然だろ。 俺を誰だと思ってる? お前の同期で親友だぜ」
「ぶはっ! 親友ってっ」
新田の言葉に、沖田は思わず噴出した。
よくも恥ずかしげもなく親友などと言えるものだ。

「でもまあ、こっちはいつでも大丈夫だから、送別会は頼んだ、親友!」
「おう、任せとけっ! この際奮発して綺麗なお姉ちゃんいる店予約してやるよっ」
「いや・・・ それは遠慮する」
「あ、そう?」
新田は少し残念そうに応える。
「何でお前が残念がってるんだよ?」
そう言うと、2人は顔を見合わせて笑いあった。







仕事を終えたセイが会社を出ると、見覚えのある人物が近づいてきた。
「神谷さん。 あの、少しだけお話良いですか?」
「・・・中川さん」
「いつも突然でごめんなさい。 でも本当に少しだけなので・・・」
「・・・・ええ、いいですよ」
そう言うと、セイは微笑んだ。




久しぶりに会う中川は、以前より痩せたように見える。
心なしかフラついている。

「あの、私会社を辞める事にしました」
「えっ」
驚くセイに、中川は辛そうにセイの顔を見てきた。
「新田さんに・・ あなたとの事で色々と言われました」
「幸二に?」
「はい。 あなたと話した事、ものすごく叱られたんです。 それで、もしあなたとどうなっても今後私とは付き合う気は一切ないと」
「・・・・・・」
セイは何も言えなかった。
自分のせいかも知れないと責任を感じた。
「私、本当に新田さんが好きだったんです。 新田さんが全てだったんです。 このままこの会社にいれば、私は新田さんのこと諦められません。 新しい恋をする為にも、会社を辞めて違う道を歩もうと思ったんです」
「新しい恋・・・」
中川の言葉にも、思わずセイは反応してしまう。

「はい。 あなたには本当に失礼な事をしてしまったと思って。 だから最後に話しがしたかったんです」
「失礼な事なんて何もしてませんよ」
セイの言葉に、中川はかぶりを振った。
「いいえ! 私、あの時あなたにあんな話しをした事、本当に心から後悔していたのです。 新田さんにあなたを裏切らせるような事をさせた上、更に新田さんを下さいだなんて良く言えたものだと。 本当にごめんなさい」
そう言うと、中川は深く頭を下げた。
「中川さん・・ 辞めてください。 本当に私、気にしてませんから。 それに、私は幸二とこれ以上付き合っていく気はないんです。 だからあなたに対して責める気持ちなんて何もないんです」
中川は驚いて顔を上げた。
「別れる・・・んですか?」
「ええ。 そのつもりです」
「もしかして私が原因で・・」
泣きそうな顔で訊ねる。
「確かにあなたとの浮気がきっかけですけど・・ でも理由はそれだけじゃないんです。 だからあなたを責める気はないし、あなたには幸せになってほしいと思ってます」
「そんな、幸せだなんて・・」
中川の肩に、セイはそっと手を乗せた。
「会社を辞めてしまうのは残念ですけど、頑張ってくださいね」
セイの言葉に、中川は顔をぐしゃぐしゃにした。
「はい。 ありがとうございます」






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