時雨 1

最後の文を入力し終えたセイは、Enterキーをポンっと押すと、伸びをした。

「あぁ〜っ 疲れたぁ〜」

ふと時計を見上げると、10時を指していた。

「もうこんな時間か・・」
そう言うと、セイは帰る用意を始めた。
そしてオフィスの電気を消し、廊下へ出た。


「お疲れ様です」
突然後ろからかけられた声にびっくりして振り返ると、そこには営業の沖田が立っていた。

「沖田さん、まだいらしたんですか」
「えぇ、仕事が残ってて。 神谷さんも随分遅くまで残ってたんですね」
「誰かさんがお仕事を沢山取って来てくれるおかげで、頑張っても頑張っても終わりませんよ」
そう言うと、セイは沖田を見上げ意地悪く笑った。
「あー、嫌味ですか? 頑張ってるのにひどいなぁ」
「冗談ですよ! 私の要領が悪いだけです」
「何言ってるんですか、あなたがどれ程仕事出来る人なのかなんて、皆知ってる事ですよ」
「またまた、お世辞言ったって何も出ませんよ」
そんな話をしながら、2人はビルの外まで出てきた。

「神谷さん、食事はもうしました?」
「あ、いえ、何も食べてません」
「もし良かったら、食事でもどうですか? 私も何も食べてないから、お腹ぺこぺこなんですよ」
そう言うと、沖田はお腹を悲しそうな表情でさすった。
「そうですね、今日はこの後何も予定ないしご一緒させて頂きます」
セイの言葉に、ほっとした表情をした沖田は、知っている店に行こうとセイを促して歩き出した。

「あれ? そう言えば、新田は?」
「あぁ、今日は取引先の接待だとか言ってました」
「そっか。 新田も忙しい奴だからな〜。 私も頑張らないと」
「あははっ 沖田さんも、かなり成績良いじゃないですか。 幸二が、いつもあいつだけには負けられない〜って言ってましたよ」
その後も、話し続けているセイを、沖田はそっと気づかれないように横目に見ていた。

この人は知らないだろうが、新入社員として神谷セイが入社してきてから、ずっと好きだった。
いつか打ち明けようと思っていたのに、気がついたら同じ営業部の同期である新田幸二と付き合い始めていた。
こうして良く食事に行ったりするのだが、それだけの関係。
もうすぐ結婚かと周りが噂しているのを聞いて、諦めようと思うのだがやはり長年の片思いはそうそう終わってくれない。







「美味しかったぁ〜! 本当にいつもいつもご馳走様です」
「いいえ、私が誘ったんですから気にしないで下さい」
食事を終えた2人は、店を出た。

「電車の時間まだあります?」
沖田の問いに、セイは腕時計を見た。
「あぁ〜、走れば間に合うかも知れませんけど、今日は疲れちゃったからタクシーで帰ります」
「じゃあタクシー乗り場まで送りますよ」

そう言って歩き出した沖田の目に、ある人物が目に入った。

セイの彼氏である新田が、女と腕を組み寄り添いながら歩いている。
2人が向かっている方向は、明らかにホテル街。

沖田は、急いで向きを変えてセイの視界をさえぎった。
セイは、急に自分の目の前に立ちはだかった沖田に、不思議そうな顔を向ける。
「どうかしたんですか? 沖田さん」
「いえっ! そう言えば、こっちにはタクシーは少なかったです。 あっちの方がつかまりやすいから、向こうへ行きましょう」
そういって、セイの腕を掴んでその場を去ろうとする。
しかし、セイは動かない。
「か、神谷さん!?」
セイを見ると、1点を見たまま固まっている。

「幸二・・・」

見えないようにとさえぎったはずが、セイのいる角度からバッチリ現場が見えてしまっていたようだ。
沖田は自分のあり得ないミスに、内心舌打ちをした。


セイは、2人が消えていった方向を呆然と見つめている。
何と言って声をかけて良いか分からず、沖田はその場に立ち尽くした。

実は沖田は知っていた。
新田に他に女がいる事を。
もうかなり前から同じ営業部の女性と遊んでいたのだ。
営業部では有名な話で、誰もが見て見ぬふりをしていた。
それどころか、社内でも人気のセイは男性社員からの憧れで、男性社員達は、これで2人が別れれば自分にもチャンスがあるかも知れないと期待をしていた。

しかし、沖田はそんな理由でセイに内緒にしていた訳では決してなかった。
もちろんセイと付き合いたい。
でもそれ以上に、セイに傷ついて欲しくなかったのだ。
なのにこんなあっさりと、しかも現場を見てしまうなんて。
セイの気持ちを思うと、沖田はどうして良いか分からなかった。

「沖田さん・・」
「あっ、はいっ」
「今の・・ 幸二でしたよね?」
呆然としながらも、セイは暗い声で尋ねた。
「えー・・ まぁ、そうでした・・・かね・・」
「・・・・・・。」
一層暗い顔になったセイは、拳を握り締めてわなわなと震えている。

ショックで泣き出してしまうのではないかと不安になりオロオロとセイを見ていた。


「沖田さん、この後お暇ですか」
少しドスの利いた声で、セイが静かに言葉を発した。
「えっ? あ、はい。 暇ですが・・」
「付き合ってもらえますか」
「えっ?」
突然セイは、バッと沖田を見上げた。
「飲みに行きませんか」




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