沖田さん家 パート7 後編
セイは、総司が働く会社のビルの前にいた。
先程、総司からはまやもや残業で遅くなると連絡が来たところだ。
しかも早口で告げると、こちらの返事も聞かず急いで電話を切ってしまった。
ますます怪しい。
もし本当に残業ならば、会社からは出てこないはずだ。
隠れるように他ののビルに身を隠し、じっと入り口を凝視した。
『信じたくはないが、多分クロだ。 だが何かを聞いたり知ってしまった訳ではない。 これはあくまで俺の予想だから。 これ以上は聞かないでくれ』
初めて聞く、土方のあたふたした言葉。
いかにも何か知ってしまいましたと言わんばかりの発言。
きっと自分には言えないような何かを総司の口から聞いてしまったに違いない。
セイはいてもたってもいられず、とうとう会社の前で待ち伏せ作戦に出ることにした。
入口から出てくる人に目を向けながら、セイの苛立ちはMAXに達していた。
まさか総司が自分を裏切るなんて。
予想もしていなかった事に、セイは落ち着いてなどいられなかった。
「あ」
ビルから出てきた2人組みを見て、セイは小さく声を上げた。
1人は確かに総司だ。
その隣には、見知らぬ女がいる。
やはり残業なんて嘘だったのだ。
セイは震える手を握りしめ、2人の後を気付かれないようついていった。
2人は駅に向かうと、自宅とは反対方向の電車に乗り込んだ。
セイも隣の車両に乗る。
総司と女は、楽しそうに何やら話している。
しかも総司は頬をほんのり染めているように見える。
まるで自分に向かって話しているような表情に、セイは悲しくなった。
ここ数日、自分とは話もしなかったくせに。
3駅ほど先の駅で2人は降りて行った。
駅から出ると、駅前にあるスーパーに入って行った。
家で夕飯を作って食べているのだろうか。
だから毎晩夕飯いらないと言っていたのか。
これはもう浮気の域を超えているのではないだろうか。
しばらくして出てきた2人は、大きなビニール袋を持ち再び歩き始めた。
その間も、やはり総司は嬉しそうに女に向かって話し続けている。
女はというと、総司の話をにこにこしながら相づちを打って聞いている。
その様子を、セイはむすっとしながら見つめていた。
本当は、今すぐにでも2人の前に怒鳴りこんで行きたいくらいだ。
しかしそれでは浮気の現場を抑えた事にはならない。
セイは今すぐ走り出したい衝動を抑えて、後を追った。
5分程歩いた所にある2F建てのマンションまで来ると、2人は階段を上った。
そして、2Fの1番奥の部屋の前まで来ると、女がドアを開ける。
総司はペコっと頭を下げながら、連れだって部屋の中に入って行った。
セイは2人が部屋の中に入るのを見届けると、脱兎のごとくその部屋へ向かって走り出した。
ピンポンピンポンピンポンピンポン
ドアの前に着くなり、セイはインタフォンを連打した。
人が出てくるまでの間も、セイはイライラしながらドアをじっと睨んでいた。
「はぁ〜い」
中から女の声が聞こえた。
ドアが開くと、若く可愛らしい女性が顔を出した。
「どちら様ですか?」
見知らぬセイの顔を見ながら、不思議そうに訊ねる。
「うちの旦那、いますよね」
「え?」
「すみませんが、失礼します」
「あ、あのっ ちょっとっ」
女を押しのけ、セイは部屋の中へ入った。
玄関で靴を脱ごうとして、ふと棚を見るとフ●ブリーズが置いてあるのが目に入る。
ここで毎回匂いを消してたんだな。
そう確信したセイは、女が止めるのも聞かず、部屋の奥へと進んだ。
勢いよくバンッとドアを開けた。
そこには、エプロンをして食材をビニールから取り出している総司が、突然開いたドアに驚いた顔をこちらに向けている。
「やっぱり… 浮気していたんですね」
総司を見るなり、セイは静かにそう言った。
「セ、セイッ!? な、な、な、何でここにっ」
「毎晩毎晩ここに来てたんでしょ? 残業だって嘘ついて」
「え、いや、その…」
突然のセイの登場に、総司の頭の中は真っ白になってしまった。
「良くも私を裏切ってくれましたね」
「う、裏切る!?」
「わざわざ家に帰るのにファブ●ーズまで使って匂いを消したりして」
「あ、その、それはっ…」
「言い訳は聞きたくありません。 離婚ですっ! 今すぐ私と別れて下さい」
「はぁっ!?」
「もう私の分の印鑑押してます。 署名お願いします」
そう言うと、セイは総司の顔の前に離婚届を突き付けた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 何でそこで離婚になるんですか」
総司は泣きそうな顔でセイに近づいてきた。
「うるさいっ! 嘘までついて私の事裏切ったんだから当然です。 早く書いて下さい」
「嘘ついてたのは謝りますけど、裏切ったって一体何の事ですか!」
「自分の胸に手当てて考えて見れば良いでしょう! そんな事いちいち私に言わせないで下さいっ!!」
そう言って今にも泣きそうな顔で叫んだセイに、総司は困り果てた。
そして、素直に胸に手を当てて目を瞑って考えてみる。
・・・・・・・・・・・・。
「…やっぱり分かりません」
「はっ!?(怒)」
「言われた通り、胸に手を当てて考えてみたけど分かりません…」
上目づかいでこちらを見ながらつぶやいた総司に対して、セイは怒りでプルプルと震えだした。
そして更に怒鳴ろうとしたその時。
「お、奥さん。 ちょっと落ち着いて下さい」
セイの腕を掴みながら、先ほどの女がセイに呼びかけた。
「なっ なんですか」
恐らく先ほどから2人のやり取りを聞いていたのだろうが、頭に血が上っていたセイは、女の存在を忘れてしまっていた。
「話を聞いてもらえませんか?」
「聞きたくありません」
女を睨みながら、申し出を即座に断った。
「そう言わずに… 出来れば2人で話しましょう」
「・・・・」
「沖田さん、少し奥さんとお話してきますね」
呆然と立ち尽くしている総司にそう言うと、女はセイを伴って別の部屋に向かった。
「で? 何ですか」
ぶすっとしながら腕を組み、セイは女を睨んだ。
「えーと… 私は沖田さんの同僚で松下と言います」
「はあ」
「最初に申し上げますが、私と沖田さんは決して奥さんが想像しているような関係ではありません」
「じゃあどういう関係ですか」
「ただの、同僚です」
「ただの同僚の家に、毎晩上り込むんですか」
「だから、それには事情があって…」
松下の言葉に、セイはため息をついた。
「どんな事情があって、私に嘘までついてここに来る必要があったんですか」
セイの問に、松下は少し考えるそぶりをした。
そして、セイの目を見ると話しだした。
「それは… 奥さんの為ですよ」
「はぁ?」
「本当は当日まで秘密にしたいと沖田さんは言っていたんですが、こうなったら仕方ありません。 お話します。 実は私、調理学校を出てまして… それを知った沖田さんにお願いされたんです」
「・・・・・お願い?」
調理学校を出ているのが何の関係があるのだと、セイは怪訝な顔をした。
「もうすぐ何の日か、知ってらっしゃいます?」
「何の日?」
セイは視線を巡らせて考えてみた。
しかし何も思い浮かばない。
「さあ」
「やっぱり… 多分奥さんは、見返りなんて何も期待していないと沖田さんは言ってました」
「見返り??」
ますます訳が分からないセイは、眉間にしわを寄せた。
「あとちょっとで、ホワイトデーがあるのは分かりますよね?」
「ホワイトデー?」
「はい。 沖田さん、毎年奥さんからバレンタインに手作りのお菓子を作ってもらうんだって言ってました」
「あっ…」
そこまで言われて、ようやく松下の言いたい事が分かったような気がした。
「それで、沖田さん今年こそ何か奥さんに手作りのものをお返ししたいんだって私に相談してきたんです」
「・・・・」
「美味しいお菓子を奥さんに作りたいんだけど教えて欲しいって。 私もどうせ暇だし、それなら家で一緒に作りましょうって言ったんです」
「そ、そうだったんですか…」
「はい。 だからここに来ても、沖田さんと私はお菓子作りしかしていませんし、終わったら沖田さんはすぐにお家に帰って行きます。 本当に私たちそれ以上何もありませんから」
「はぁ…」
色々と思い返して、セイは恥ずかしくなった。
「もう沖田さんたら奥さんの事大好きで大好きで仕方ないんですよ」
「え?」
「だって、ここに来てる間もずーーーっと奥さんの話しかしないんです。 朝起きてから夜寝るまでの間に、何が可愛かったとか、どういう所にキュンと来たかって事まで。 それはもう、話が途切れないくらいずっと奥さん自慢してるんですから」
あははっと笑いながら話す松下の言葉に、セイは真っ赤になった。
「私にも彼氏がいますけど、沖田さんみたいに内緒で手作りのお菓子を送ろうとしたりなんか絶対してくれませんよ」
「は、はぁ…」
「お菓子作ってる間も、"セイは口が小さいから一口サイズの大きさにしなきゃ"とか、"セイは甘すぎるのが嫌いだからビターにしよう"とか、奥さんの事ばかり考えてるんですよ。 本当に幸せ者ですね」
もう顔から火が出そうだ。
まさかそんな事を総司がしてくれているとは思わなかった為、怒鳴りこんで来てしまった自分が余計に恥ずかしい。
・・・・・はっ!!
でも腑に落ちない点がいくつかある。
何故わざわざファブリー●で匂いを消す必要があるのだろうか。
浮気などしていなければ、わざわざ使う必要などないはずだ。
それに、家に帰ってから妙に余所余所しいのも気にかかる。
あれだけ毎晩しつこく迫って来ていたにも関わらず、ここ数日手も出してこない。
「あのぉ… 何でうちの旦那はわざわざファブ●ーズを大量に使ってるんでしょうか…」
「ああ、やっぱり気づいちゃいました?」
「そりゃー。 あれだけ振りかけてれば」
「沖田さん、奥さんが鼻が良いって言ってました。 きっとお菓子の匂いが体についてしまっているだろうと思って、匂いを消してたんですよ。 そのファ●リーズの香りに気づかれたら意味ないですけどね」
そう言いながら、松下は面白そうに笑った。
「そうそう、あと沖田さん言ってましたけど、普段やり慣れないお菓子作りなんかしてるせいか、めちゃくちゃ疲れてるみたいです」
「え?」
「本当にへとへとになっちゃってるらしくて、家帰ってお風呂に入るとふらふらになるって言ってました」
なるほど…
疲れ過ぎて、性欲もわかなかったという事か…
今までの疑問が、一気に解消された。
「それよりも、早く沖田さんに声かけて上げて下さい。 きっと離婚だなんて言われて凹んでますよ」
「そ、そうですね…」
セイは言われた通り、総司のいるキッチンへと向かった。
そっとドアを開けて中を覗いてみると、総司はダイニングテーブルの椅子に座り、じっと離婚届を見つめていた。
「ふふふっ 離婚て言われちゃいましたよ、妖精さん」
はぁっ!?
妖精っ??
「私の一体何がいけなかったんでしょうね? やっぱり嘘ついたのがいけなかったんでしょうかね? ジョニー」
今度はジョニーになった。
セイは総司の近くに誰かいるのか、目を凝らしてみた。
しかしセイには何も見えない。
「アンソニーはどう思います?」
3人目が登場した。
とうとうおかしくなってしまったようだ。
それほど離婚を突き付けられた事がショックだったのか。
セイは、キッチンの中に入ると、総司の横に立った。
「総司さん、一体誰としゃべってるんですか」
「この人達が、私を慰めてくれてるんです」
「誰もいませんけど」
「私には見えるんです。 妖精さんが、頑張れって言ってくれてます」
完全に逃避している総司を見て、セイはため息をついた。
「帰りますよ」
そう言うと、セイは総司の手を取った。
「・・・・私、まだサインしてないんです」
「サインしなくて良いです。 離婚なんてしませんから」
「えっ!?」
総司は驚いて顔を上げた。
「嘘ついてたのは許せませんけど、理由は分かりましたから。 私の為にお菓子作りの勉強してたんでしょう?」
総司はぱあっと顔を輝かせた。
「じゃあ、私はお家に入れてもらえるんですかっ」
「当たり前です。 でも、今後はここでお菓子なんて作らないで下さい。 理由が分かっても、女の人と2人きりでいるなんて嫌ですから」
「でも…」
それだと、セイにホワイトデーのお返しが出来なくなると、総司は悲しそうに眉をへの字にした。
「家で私と一緒に作れば良いじゃないですか。 私が教えます」
総司は勢いよく立ち上がると、ギュッとセイを抱きしめた。
「はいっ そうしますっ!」
「じゃあ、松下さんにお礼を言って帰りましょう」
「分かりました! 妖精さんとジョニーとアンソニーにもさようならって言います」
「・・・・そうして下さい。 出来れば一生さようならでお願いします」
2人は松下に礼と謝罪をすると、家を後にした。
そして、鈴と颯太を預けている土方の家へと向かった。
「何だ… そんな事だったのか…」
事情を聞いた土方は、脱力してその場に崩れ落ちた。
あの時の電話は、材料をこねていたという事も、総司から説明された。
土方が電話を切ってしまったので、後で掛け直そうと思いながら疲れてしまって忘れていたらしい。
土方にも礼をいうと、2人は娘の鈴と息子の颯太を引き取り、我が家へと戻った。
それからホワイトデーまで、毎晩仲睦まじくお菓子作りを始めた。
「だーかーらー、何回言ったら分かるんですか! 牛乳は100ccだって言ってんでしょうがっ!!」
「ごっ ごめんなさいっ」
「とっととやり直せっ!」
「分かりましたっ! 分かりましたから、踏みつけるの辞めて下さいぃぃぃ」
「げっ! 何ですか、これはっ!! こんな焦げたもの、私に食べさせるつもりですか!! ちゃんと時間測ったんですか!?」
「ううっ すみませんんんっ すぐにやり直しますぅぅぅ(涙)」
正直、松下とのお菓子作りの方が楽しかったかも知れないと総司が思った事は、死んでも内緒である。
終わり