涙色 2



「会いたかったよ、ハニー」
家に帰るなり、その男は両手を広げてセイに近づいてきた。
「・・・・」
俯いたまま、セイは男の横を通り過ぎようとした。
「セイ、伊東さまはずっとあなたの帰りを待っていて下さったのですよ。 何です、その態度は」
セイの腕を掴み、母親が咎めた。
「良いんですよ、お母さん。 きっと僕の美しさに照れているだけですから」
「何ふざけた事言ってんだ、こいつ」
ボソッと呟いたセイの言葉に、伊東と呼ばれた男と母親が凍りついた。

「な、なんですって!? セイ! 謝りなさい!」
「嫌よ! 何でよりによってこんな奴なのよ! 私この男は昔から嫌いなのよ!」
伊東とは、企業のパーティで何度か面識があった。
何故かセイの事を気に言っており、何かというとセイに近づいてきた。
しかしセイは生理的にこの男が嫌いだった。

「は・・ははっ 相変わらず君は元気が良いなぁ」
顔を引き攣らせながらも、何とか笑顔を作ってセイに近づいた。
「こっち来ないでよ、気持ち悪い!」
「照れなくて良いんだよ、ハニー。 もうすぐ君は僕のお嫁さんになるんだから」
「誰があんたなんか! 絶対に嫌よっ あんたと結婚するくらいなら、舌噛んで死んでやる!」
その言葉に、伊東は不敵に微笑んだ。
「そんな事言って良いのかい?」
「何よ!」
「君の会社が、一体どんな状況なのか分かっているのかな?」
「は?」
「君の父親の会社は、もう潰れる寸前なのだよ」
「なっ!!」
伊東の言葉に驚いて、セイは母親を見た。
母は気まずそうに下を向いて、セイと目を合わせようとしない。
「どういう・・こと?」
「おや、知らなかったのかい?」
「ママ、本当なの?」
初めて知った事実に、セイは目を見開いて母親に訊ねた。
しかし母親は口をつぐんだままその問に答えようとはしない。
「僕の会社と提携を結ばなければ、存続はない。 そんな事になったらどうなる? 会社だけではない、君は 住む家も失うだろう。 雇っている数万人の従業員も一気に職を失ってしまうのだよ」

目の前が真っ暗になった。
「そんな・・」
セイの様子を見て、伊東は得意げに微笑んだ。
「だから君が僕にそんな態度を取っていては、君だけではなく多くの人間が困ることになるんだよ」

漸くセイは納得がいった。
伊東の事は、セイだけではなく両親が嫌っていたのだ。
男の一族は、傲慢なやり方でトップにのし上ってきた。
業界でも悪い噂が絶えない。
そんな企業と提携を結ぶなど、セイには信じられなかった。
しかしそうも言っていられない状況のようだ。

「ごめんなさい、セイ・・・」
母親はそう言うと、その場に泣き崩れた。















「総司、これを見ろ」
リビングのソファに座り、テレビを見ていた総司に父親が新聞を差し出した。
「え?」
渡された新聞を受け取った総司は、呼んで目を見開いた。


『伊東グループの御曹司と、富永物産の令嬢が結婚』


新聞の記事にはそう書いてあった。
途中まで目を通した総司は、途中で読むのをやめ新聞を放り出した。


最後にセイと会ってから、既に数か月が過ぎた。
あれ程酷い態度を取ったのだ。
当然セイからの連絡は途絶えた。
総司からももちろん連絡する事はなくなった。
もう自分には関係のない事だ。
それなのに、未だにセイのこのような記事を見てしまうと動揺してしまう自分がほとほと嫌になった。
モヤモヤする気持ちを払拭しようと、総司は目の前にあるコーヒーを手に取った。

「総司」
様子を見ていた父が、総司の目の前に座った。
「お前に話したい事がある」
父の真剣な表情に、総司は不思議そうに顔を上げた。




















「本当に綺麗な花嫁さんね」
「こんなに可愛らしい花嫁を初めて見たわ」

そんな言葉がヒソヒソを囁かれる中、伊東とセイの結婚式が執り行われていた。
大企業の子息と令嬢の結婚式とは思えない程の少人数である。
それを不思議に思う人間も中にはいたようだが、富永側の人間は皆分かっていた。
泣いて嫌がるセイを無理やり結婚させる事になったのだ。
その事に胸を痛めたセイの両親が、マスコミや親族以外の人間の立ち入りを拒否した。
伊東としては、セイと結婚さえできればそれで良かった為、すんなりとその要求を受け入れた。



讃美歌斉唱、 聖書朗読、祈祷が終わり、新郎新婦の誓約が始まろうとしていた。
ホクホク顔の伊東の隣には、今にも泣きだしそうな顔のセイが、呆然と立っていた。


もう何日も泣き続けた。
自分の家族、そして従業員達を救えるのはもう自分しかないと分かってはいた。
しかし伊東に対する嫌悪感は未だなくならない。
それ以上に、総司に対する気持ちが会えない事でより大きくなっていった。
何度電話を手に取っただろう。
最後に総司に言われた言葉が何度も頭をよぎった。
これ以上総司に嫌われたくない。 
その気持ちだけで自分を制御していた。
それに伊東との結婚が決まった以上、総司と会う訳にはいかなかった。




「あなたは今、富永セイさんを妻とし神の導きによって夫婦になろうとしています。汝 健康の時も病めるときも、これを愛し敬い慰め遣えて共に助け合い永久に節操を守ることを誓いますか?」
神父が伊東に対して問いかけた。

「はい、誓います」
伊東はセイの顔をちらりと見ると、にやっと微笑んでそう答える。
「汝・・・」
同じ問を、神父はセイに問うた。
「・・・・。」
しかしセイはうつむいたまま答えようとしない。
「富永セイさん?」
何も答えないセイに、神父は呼びかけた。
「誓いますか?」
「・・・・・・・・・いやです」

「は?」
まさかの答えに、神父は思わず聞き返した。

「せ、セイ? 君は何を言っているんだい?」
さすがの伊東も、その言葉に驚いた。

「さあ、もう1度答えるんだよ」
伊東に促されて、神父が再度セイに問う。
「汝、誓いますか?」

大きく溜息をつくと、セイは仕方なく答えようとした。
「・・・・・・・はい、ちかいま・・」



セイが言い終わりそうになったその時。

バンッと大きな音を立て、教会のドアが開いた。

その場にいた人間が、何事かと一斉にそちらへ目をやった。


「え・・」

セイは信じられない思いでそちらを見た。

「セイさん!!!」
そこには、息を切らした総司が立っていた。
「総司さん・・?」
セイは目を見開いた。


総司は、呆気にとられている人々の間を縫うように伊東とセイの元まで走ってくると、セイに手を伸ばした。
「行きましょう!」
「えっ?」
何が起こったのか分からないセイは、唖然と総司を見ている。

「早く!!」
「は、はいっ!」
総司の声にハッと我に返ったセイは、迷う事なく伸ばされた総司の手を握った。

セイの手を取った総司は、そのままセイを抱き上げると、驚いてただその様子を見ている参列者の中を再び走り抜け、協会からから逃げ出した。





「せ、セイッ!」
一部始終をその場で立ちつくして見ていた伊東が、叫んだ。
それを聞いた参列者たちは、漸く状況を把握し始め、急いで総司たちの後を追おうと次々と協会を出て行った。




セイを抱いたまま門の外まで出てきた総司の前に、タイミングよく車が止まった。
「早く乗りなさい」
中から声をかけてきたのは、何と総司の父親だった。
総司はセイを車の後部座席に乗せると、自分も急いで飛び乗った。
ドアを閉めると同時に、追いかけてきた参列者をその場に残し父親は車を急発進させた。










「そ、総司さん、一体これはどういう事ですか」
突然の事に、何が何だか分からないセイは総司に訊ねた。
「あなたを奪いに来ました」
額に汗を浮かべ、息切れしながらも笑みを浮かべて総司は答えた。

「奪いにって・・ だって・・ 総司さん私の事嫌いになったんじゃ・・」
それを聞いた総司は、優しく微笑んだ。
「そんな訳ないでしょう」
「え・・?」
その言葉に、セイは信じられないといった表情で総司を見た。
「私は泣く泣くあなたを諦めようとしたのですよ。 本当は好きで好きで仕方がなかったのです」
そう言うと、総司はセイの手を取った。

「でも何故こんな事を・・・」
こんな事をしてしまっては、総司や総司の父親が後でとんでもない状況になるのではないか。
会社がどうなるなどの前に、セイはその事を心配した。

「お嬢さん、私は大丈夫ですよ」
「え?」
運転をしながらも、バックミラー越しにセイに目をやるとウインクした。

「どういう事ですか?」
「近藤商事を知っていますか?」
もちろん知っている。
日本を代表する3大企業の1つだ。
富永物産や伊東グループも日本では大企業ではあるが、近藤商事には到底敵わない。

「ええ、もちろん」
「近藤商事の会長とは旧知の仲でね。 今回の事を全て相談させてもらったんですよ」
「今回の事?」
「自分の息子が自分のせいで大事な人を失うかも知れないとね」
「えっ・・・」
父親の言葉に、セイはほんのりと頬を赤らめて総司を見た。
その視線に、総司も照れたように笑った。


「私はね、会社では経理を担当しているんですよ。 今回昇進して部長になりました。 おかげで会社の経理状態は全て把握できる立場になったんです。 すぐに会社はもう存続させるにはかなり厳しい状況になっているという事を知りましてね」
「・・・・ええ」
顔を曇らせて、セイは下を向いた。

「今回のあなたと伊東グループの御曹司の結婚は、建前上は提携となっていますが、恐らく私の予想では伊東グループへの吸収合併になるでしょう。」
「吸収合併!?」
初めて聞く言葉に、セイは驚いた。
「はい。 伊東グループとはそういう会社です。 そうなれば、会長や社長はグループから追い出されることになるでしょう。 従業員も、相当な数首を切られることになります。 人の良いあなたのお爺さんやお父さんは、すっかり騙されていたのだと思いますよ」
「そんな・・」
セイは目の前が真っ暗になった。

「そうなってからでは遅いのです。 なので、私は近藤会長に全て今回の件を話させてもらいました。 彼は私の話をとても親身になって聞いてくれてね。 こちらのお願いを全て快く受け入れてくれたんですよ」
「お願いとは?」

総司の父親の話とはこうだ。

経営の危機に陥っている富永物産を、伊東グループの力ではなく近藤商事の力で何とか助けて欲しいと。
近藤商事と富永物産は競合企業ではあるが、提携を結ぶ事になれば更に大きな企業になる。
今の近藤商事には、富永物産を助けられるだけの力も十分にあった。


「本当ですか・・?」
セイは信じられない気持で総司の顔を見上げた。
「ええ、私も近藤会長を良く知っています。 彼はとても信頼できる方ですよ。 近藤商事との提携が決まれば、伊東グループなど足元にも及ばなくなるでしょう」
「では私は無理に伊東と結婚する必要はないのですか?」
「もちろんです。 あなたさえ望んでくれるのなら、私があなたをお嫁に頂きたいのですが」
それを聞いたセイの目には、みるみる涙が浮かんだ。
「総司・・さん・・」
「あんなひどい事を言ってしまった私を、許して頂けますか?」
申し訳なさそうにセイの顔を覗き込む総司に、セイは涙をこぼしながら微笑んだ。
「許すもなにも、私は総司さん以外考えられませんから」
セイの言葉に、総司は父親がいる事も忘れセイを思いっきり抱きしめた。
「ありがとう」



















総司がセイを連れ去った後、当然ながら大騒ぎになった。
誘拐かと言われ始めた頃、富永物産宛に近藤から連絡が入った。
そして、今回の総司たちとの計画が伝えられた。
もちろん富永側が断る理由などない。
伊東グループとの問題は、全て近藤商事が解決してくれたようだ。
セイと結婚するはずだった伊東は、最後まで不服に思っていたようだが、近藤商事から伊東グループのこれまでの悪事をつきつけられ、渋々全てを受け入れた。

富永物産にとって救世主とも言える総司の父親は、更なる昇進を打診されたがそれを断わり現状のままを希望した。
そして総司は大学を卒業し、無事富永物産へと就職を果たした。




















「ほら。 セイさん、今度はあれに乗りましょう」
そう言いながら、総司は空高く指をさした。
総司の指した方を見て、セイは絶句した。

目の前には30メートルはあろうかというほどの高い鉄塔がある。
その鉄塔にはいくつか箱形になった椅子がついており、ものすごいスピードで落下している。
「あ、あれは・・・?」
「フリーフォールというんですよ! 落ちる時のスリルがたまらないんですよ」
総司は楽しそうに話している。
「い、いえ・・ 私は遠慮しておきます」
微かに青ざめながら、セイが後ずさりした。
「ダメですよ。 せっかく来たのだから乗りましょう」
そう言うと、セイの手を掴んで歩き出そうとした。
しかしセイはその場に踏みとどまった。
総司がセイを振り返ると、目に涙を浮かべてふるふると首を振っている。

「ぷっ 何て顔しているんですか」
その表情があまりにも可愛らしくて、総司は思わず噴き出した。
「総司さんひどい!」
「分かりました。 まだ遊園地初心者のあなたには早かったですね。 んーー、じゃあ・・・」
そう言いながら、総司は周りを見渡した。

そして何かを見つけると、ぱっと笑顔になった。
「あれはどうですか?」
その言葉にセイは総司の指さす方向を見る。
大きな観覧車がある。
「あれなら・・・」
テレビや雑誌では何度も見たことがあり、1度乗ってみたいとは思っていた。

「決まりですね。 では行きましょうか」
「はいっ」
2人は仲良く手をつなぎ、観覧車へ向かって足取り軽く歩き出した。






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早苗さまからのリクエストで、
『現代版でセイちゃんが無理矢理結婚させられそうになった所で、式場から総司が花嫁を連れ去る… 
映画「卒業」的に?』
との事でした。

卒業を見たことがないので、必死に勉強しました(汗)
伊東さん、悪者にしちゃってごめんなさい^^;
早苗さまのご希望通りに書けてますでしょうか??
ご意見・苦情などありましたら、なんなりとお申し付けくださいませ。。。
リクエストを、どうもありがとうございました♪


2009年3月21日