告白
「セイ、どうかした?」
友人にかけられた声に、慌てて首を振る。
「ううん、何でもない」
それでもセイは、首をかしげながら、周りを見渡した。
おかしい。
もうここ数週間彼の姿を大学の構内で見かけていない。
以前は毎日のように学食で顔を合わせていたと言うのに。
連絡を取ろうにも、彼の番号もアドレスも何も知らない。
知っているのは、名前と学年、そして取ってるゼミの名前くらいだ。
彼と知り合ったのは、去年の夏、大学で行われたスクーリングの運営委員のアルバイトをした時だった。
2人でペアを組むのだが、その相手がその彼だった。
名前は沖田総司。
セイより2年先輩だ。
沖田は前年もスクーリングの運営委員をしていたらしく、セイにとってはとても頼りがいのある人物だった。
体力を使う仕事だったのだが、優しい彼は女性の負担になるような仕事は全て引き受けてくれた。
学年もサークルも違う為、スクーリングが終わってから彼と会うのは学食か、構内を歩いている時くらいだった。
優しくて頼り甲斐のある彼に惹かれるのに、時間はかからなかった。
しかしセイは人一倍恋愛におく手な性格の為、自分から告白するなど出来るはずもなく、電話番号すら聞く事が出来なかった。
たまに構内で会うと、必ず声をかけてくれるのだが、それが何よりも楽しみにだった。
「会いたいな…」
家路に着く帰り道で、思わずそう呟いた。
大学に来ているのかどうかさえ、セイには調べようがなかった。
とろとろと歩きながら、自宅のすぐ近くにある曲がり角を曲がったその時。
「えっ」
アパートの入口付近に、人がぼうっと立っているのが見える。
セイの住んでいるアパートは、入口が独立している為、そこは自分の部屋へと上がる為の階段の前だった。
変な人がいる…
思わずセイは足を止めた。
じっと目をこらすが、誰なのか分からない。
怖くなったセイは、数歩後ずさった。
「あ…」
足音を立てずにそのばをそうっと立ち去ろうとしたのがだ、こちらの気配に気づいたその人影がこちらを振り返った。
恐怖で足が動かなくなった。
どうしよう…
そう焦ったセイだったが、こちらに近づいてきたその人に、目を見開いた。
「沖田…先輩?」
街灯の下まで来たその人物は、それまでセイの頭の中を占めていた沖田だった。
セイの目の前に来た沖田は、にっこりとほほ笑んだ。
「セイちゃん、お久しぶりです」
しかし久しぶりに見るその顔は、どことなく青白く見える。
「沖田先輩… こんなところで一体どうしたのですか?」
セイは沖田に会えた喜びよりも、なぜこんなところに彼がいるのか不思議で仕方なかった。
沖田にはバイトの打ち上げの日、遅くなってしまったからと家まで送ってもらった事がある。
半年以上前に1度だけ来た事のある家を覚えていてくれた事も嬉しかった。
「挨拶に来ました」
「挨拶?」
どういう事なのか理解が出来ないセイは、首を傾げた。
「ええ。 実は遠くへ行く事になってしまって」
「遠く? どういう…事ですか?」
大学を辞めると言う事なのだろうか。
「すごく遠い所です。 最後にどうしてもあなたにだけはお別れを言いたくて」
そう言う沖田の顔は、どこか辛そうに見える。
「遠くって、どこですか? もう、帰って来ないのですか?」
「ええ… もう戻って来れないと思います」
「そんな…」
セイは、言葉に詰まった。
「最後にあなたに会えてよかったです」
「ちょ、ちょっと待って下さい。 いきなりすぎませんか? それに、なぜ私の所へ?」
聞きたい事は色々あるのに、言葉が出てこない。
「それは… 秘密です。 もう行かないと」
「えっ」
「会えてよかったです。 ごめんなさい、時間取らせてしまって」
そう言うと、沖田は微笑んだ。
その笑顔が儚く見えて、セイはなぜか泣きたくなった。
「もう、会えないんですか?」
「・・・・・はい」
「そんな…」
どこへ行くのか、なぜ行かなければならないのか。
そして何故自分の元へわざわざ挨拶に来てくれたのか。
聞きたい事は沢山あるのに、それには一切答えようとしない。
「あ、1つだけお願いがあります」
思いついたように、沖田が微笑んだ。
「お願い?」
「ええ。 出来れば… 私の事は忘れないで下さい。 記憶の、ほんの片隅においててもらえると嬉しいです」
頬をほんのり染めながら、沖田はぼそっと言った。
「もちろんです。 忘れません。 忘れませんけど…」
"行かないで下さい"という言葉は、どうしても言えなかった。
言っても無駄だと、なぜか思えた。
「お元気で。 くれぐれも、体には気を付けて下さいね」
「・・・・沖田先輩」
セイの呼びかけに、悲しそうに微笑むと、セイの横をすり抜けて行った。
「沖田先輩っ! ・・・・えっ?」
すぐに振り向いたにも関わらず、沖田の姿は忽然と消えていた。
「うそ…」
セイは慌てて周りを見渡すが、どこにもいない。
そこには隠れられるような場所はなく、セイはキツネに包まれたような気持ちになった。
今のは何だったのだろう。
沖田は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
しばらくそのまま動けず、じっと沖田のいなくなった方向を見ていた。
セイは、普段めったに行く事のない学部等へ来ていた。
沖田の事は、ほとんど知らない。
彼が受けていたゼミの話を聞いた事がある。
ゼミがどこで行われているのか調べたセイは、とにかく彼に何が起こっているのか知りたくてやってきた。
そおっと教室の中を覗くと、数人の生徒が集まって話をしていた。
「あ」
その中に、沖田と一緒にいるところを見た事がある男性がいた。
どうしようか悩んだが、勇気を振り絞って教室の中へ入った。
「あの、すみません…」
小さな声で、声をかけた。
「え?」
声をかけられた男性は、驚いたように振り返る。
「突然すみません… あの、ちょっとお聞きしたい事があって…」
普段上級生に自分から話しかける事などした事がない。
しかも相手は男性だ。
緊張して、少し声が震えてしまった。
「え、俺?」
「はい… 今宜しいですか?」
セイの申し出に困惑していたようだが、周りの目を気にしながらも了承してくれた。
「それで、俺に聞きたい事って?」
2人で廊下に出ると、彼はそう切り出した。
「すみません。 私1年の神谷セイと言います。 もし良ければ教えて頂きたい事があるんですが・・・」
「俺で分かる事なら。 で、何?」
「はい… あの、沖田先輩と一緒にいるところを何度か見かけた事があって、それで声をかけさせてもらいました」
「沖田?」
名前を聞いた途端、顔が曇った。
「はい。 最近大学で見かけないなって。 そしたら昨日、沖田先輩が突然家の前に来て、遠くへ行くからお別れだと言ってきたんです」
「は? 昨日?」
「ええ、昨日です。 それで何を聞いても教えてくれなかったから、一体先輩に何があったのかと思って。 もし知っていたら教えて頂けませんか?」
必死でそう訴えるが、相手は訝しげな顔をセイに向けた。
「君、神谷さんだっけ?」
「あ、はい」
「昨日沖田と会ったって?」
「そうですけど…」
「夢でも見たんじゃない?」
「えっ?」
言われた意味が分からず、セイは首を傾げた。
「神谷さんは、あいつとどういう関係なの?」
その言葉に、セイの顔がボッと赤くなった。
「え、いや… どういう関係って… スクーリングのバイトで一緒になって、それからちょくちょく話をさせてもらっていただけで、どういう関係でも…」
それを聞いて、男子学生は"ああ"と納得した顔をした。
「君が、沖田の言ってた子か」
「え?」
「あ、いや。 それはこっちの話。 それで、あいつが昨日会いに来たって?」
「はい。 突然来て、遠くへ行く事になったって。 それ以上何を聞いても一切答えてくれなかったんです。 それで心配になって…」
そう言うセイの顔を、男性はじっと見た。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「ごめん。 君の言ってる事を疑っている訳じゃないんだけど…」
「…はい」
「それは絶対にあり得ない」
「えっ?」
セイは驚いて顔を上げた。
「だって、あいつは・・・・」
セイは震える手でドアノブを回した。
中に入った瞬間、強い消毒液の匂いに顔をしかめた。
目の前にはカーテンがかかっている。
ゆっくりと近づくと、カーテンに手を掛けた。
「・・・・・」
セイは信じられないといった表情で、ベッドを見降ろした。
そこには沢山のチューブがつながった沖田が、青白い顔で眠っていた。
『あいつね、1カ月くらい前に事故に遭ったんだ。 飛び出した来た小学生を助けようとしてね。 今入院してる。 俺も何度か見舞に行ったんだけど、その場にいるのが辛かった。 こんな事言言いたくないけどさ、あいつ助かる見込み少ないらしいんだ。 ずっと意識不明のままで、1度も目を覚ましてない。 だから君の所に沖田が行ったっていうのは、俄かに信じがたいな』
淡々とそう語る彼の言葉を、セイは信じられない思いで聞いていた。
それが本当なら、昨日の沖田は一体何だったのだろうか。
会いたい気持ちが強すぎて、幻を見てしまったというのか。
それとも、もう助からないと思った彼が、最期の挨拶に来たのだろうか。
セイは沖田の眠っているベッドの横に膝をついた。
とても血が通っているとは思えないほど、白い顔。
かろうじて機械から聞こえてくる規則正しい音が、生きている事を照明している。
そっと布団の中に手を入れて、沖田の手を握った。
温かい。
沖田の手を外に出すと、自分の頬に充てた。
「沖田先輩… 死なないですよね?」
静かに語りかけるが、沖田は何の反応も示さない。
「昨日わざわざ私のところに来たのは、最期のお別れのつもりだったんですか?」
セイの瞳からは、涙がこぼれた。
「先輩、目を覚まして下さいよ。 話したい事いっぱいあるんですから」
ぎゅっと沖田の掌を握った。
「聞こえてますか? ねえ、沖田先輩」
まだ告白も出来ていないのに、このままお別れだなんて、絶対に嫌だ。
振られても良い。
どうしても自分の気持ちを伝えたい。
「先輩、起きて下さいよ」
しかし目を覚まさない。
酸素マスクだけが、シューシューと音を立てている。
突然、沖田の心音を示す音が乱れ始めた。
セイは慌ててそちらへ目を向けた。
先ほどまで規則正しく動いていた音は、小さくなったり大きくなったりしている。
「せ、先輩!?」
思わず立ち上がり、声をかける。
何度も名を呼びながら、力強く沖田の手を握った。
「どうしようっ 誰かっ」
焦ったセイは、立ち上がり周りを見渡した。
ナースコール押さなきゃっ!
そう思ったその時。
不規則に動いていた心音は、無情にも"ピー"という音と共に、波が動かなくなった。
「うそっ! 嫌ですっ! 先輩!! 死なないで!」
セイは涙ながらにそう叫びながら、急いでナースコールを押した。
『どうしました?』
すぐに落ち着いた声で返答があった。
「早く来て下さい! 大変です! 沖田先輩が! お願い、早く来て!!」
とにかくそう叫んだ。
その後も、沖田の手を握りながら、必死に呼びかけた。
すぐにバタバタという複数の足音が聞こえて、数人の看護師と医師らしき男性が入ってきた。
「あなた、どいて!」
ベッドの横に立ちすくんでいたセイを、看護婦が病室の外に追いやった。
閉め切られたドアを見つめ、とめどなく溢れてくる涙を拭きもせずその場から離れる事が出来なかった。
3ヶ月後。
そこには、セイの隣で微笑んでいる沖田がいた。
「先輩、そんな食べて大丈夫ですか?」
次々と消えていくリンゴに、セイは仕方なく次のリンゴの皮を剥き始めた。
「大丈夫です。 最近食欲わいちゃって」
あははっと笑いながら、手元の最期のリンゴを口にほおりこんだ。
1度心臓が止まった沖田は、迅速な処置のおかげで奇跡的に蘇生した。
それからは驚異的な回復ぶりで、数日後には意識を取り戻した。
今ではもうすぐ退院出来るのではないかという状態になっている。
「ねえ先輩」
「何です?」
するすると皮が剥かれていくリンゴを、今か今かと待ちわびながら沖田は答える。
「元気になって、退院したらお話したい事があります」
それを聞いた沖田は、不思議そうに首を傾げた。
「元気になってから? なんですよ? 気になるじゃないですか」
「ふふっ 秘密です。 もし早く聞きたければ、すぐにでも退院出来るようリハビリ頑張って下さい」
そう言いながら、剥いたリンゴをお皿に乗せた。
「むぅっ」
ぷくっとほっぺを膨らませながら、沖田はリンゴを口に含んだ。
そして、"あっ"という顔をして、再びセイを見る。
「私も元気になったら、是非あなたに伝えたい事がありますね」
「えっ? 何ですか?」
「ひ・み・つ・ですv もしどうしても知りたければ、私が早く退院出来るように、毎日お見舞いに来て下さい」
そう言われたセイは、思わず赤面してしまった。
「もうっ! 調子良いんだからっ! 知りませんっ!」
バシッと沖田の背中をたたいた。
「いたっ!! セイちゃん、今の私にまだそれはキツいですよ」
辛そうに、前かがみになった。
それを見て、セイは青くなる。
「ごっ ごめんなさいっ! 大丈夫ですか??」
心配そうに沖田の顔を覗き込む。
しかし沖田は顔をあげないまま、ぷるぷると肩を震わせた。
「・・・・沖田先輩?(怒)」
「ぷくくくっ ごめんなさい」
ぷくっとほっぺを膨らませて怒っているセイを沖田は笑いながら見上げた。
「セイちゃん、ありがとう」
「何です?」
「私がこうして元気になれたのはあなたのおかげです」
突然真剣な顔になった沖田に、セイは恥ずかしくなり顔を背けた。
「でも、どうしてあの時あなたがここにいたんですか?」
沖田がセイの元に最期の挨拶に来た事を、沖田は覚えていなかった。
もしかしたら、本当にセイは幻を見てしまっただけなのかも知れない。
でも結果として、それがきっかけで沖田の異常時にここにいる事が出来たのだ。
今となってはそんな事はどうでもよかった。
「何となく、予感がしたんですよ。 沖田先輩の事なら何でも分かるんです、私」
そう言って、意地悪そうに微笑んでみた。
そして照れ隠しに、愛しい人の胸に顔を埋めた。
あの時とは違う、規則正しく優しい鼓動がセイの心を優しく包んでいった。
終わり