春の湖
「もう、神谷さんたらどこ行っちゃったんだろう?」
この日朝から非番の1番隊組長は、甘味に誘うためにセイこと神谷清三郎を探していた。
散々屯所内を探した挙句、どうしても見つけられなかったので諦めて1人で食べに行こうと屯所を出た。
しばらく行くと、見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あっ! 神谷さんv」
道の端に座り込み、こちらに背中を向けて何やらしている。
総司はそーっとセイに近寄り、何をしているのかを上から覗き込んだ。
「何してるんですか? 神谷さん」
「あっ 沖田先生」
上から聞こえた声に、セイは振り返り慌てて立ち上がった。
そのセイの腕には、生後数ヶ月と思われる赤ん坊がいた。
「えっ!? どうしたんですか、そのややは!?」
「えへへっ 沖田先生と私の子供ですよv」
そう言って、ほんのり頬を染めてにっこり微笑むセイに、総司の顔がみるみる青くなった。
「えぇぇぇっ!? 本当ですかっ??」
「はいv」
「だっだっって、ややってあなた! お腹大きなところ見てないですけどっ! その前にややってどうやったら出来るんでしたっけ??」
意味の分からないことを言っておろおろし始めた。
「やだぁ 沖田先生ったら」
「やだぁって! ややって欲しいと思ったら出来るものなのでしょうか? うっかり私が神谷さんとのややが欲しいと思ってしまったから出来てしまったのでしょうか? どうしましょう!」
「え?」
総司の発言に、急にセイは顔を真っ赤にして固まってしまった。
「あれ?」
「せ、先生・・」
セイの様子を見て、自分がうっかり余計な事を口走ってしまったことに気づいた。
そして、この赤ん坊が自分の子供ではもちろん違う事にもやっとのことで気づく。
「もしかして騙しましたね?」
「そんなの信じる方がおかしいですよ・・ って言うかさっき先生が言われた事って・・・・」
「わーっ わーっ! 違うんですっ! 今のはそういう事じゃなくてっ! ほら、私子供が好きだから欲しいなって思っただけでっ!」
顔を真っ赤にして必死で言い訳をする総司を、同じように真っ赤にした顔で総司を見つめる。
「そ、それよりもっ! そのややはどうしたんですかっ!!」
どうにか話を変えようと、セイが抱いている赤ん坊に話題を摩り替えた。
「あっ そ、そうでしたね。 えーと、ここをさっき通りかかったら泣き声が聞こえて・・ 覗いてみたら、この布に包まれたこの子を見つけたんです」
「そうなんですか・・ もしかして捨て子ですかね?」
「そうかも知れません。 こんなに可愛いのに・・・」
セイは悲しそうな顔をして、赤ん坊の顔を見た。
赤ん坊は、泣きもせずセイと総司の顔を見比べてにこにこと笑っている。
総司はそっと赤ん坊の手に自分の指を差し出してみた。
すると、小さな手は総司の手を握る。
「うわーっ 本当に可愛らしいですねv 手がこんなに小さい」
「良かったら抱いてみますか?」
「良いんですか? 大丈夫かな?」
総司はセイから赤ん坊を受け取り、そっと抱いてみた。
「何だか良い匂いがしますね。 とっても小さくて軽くて・・」
総司はうっとりと赤ん坊を見つめた。
「それにしても、この子どうしましょう?」
「そうですねー。 ここに置いておくのなんてあまりにも可哀想ですものね」
困った2人は、仕方なく1度屯所へ連れて帰ることにした。
「なっ なんだっ その赤子はっ!」
困った2人は土方の部屋へやってきた。
「捨て子なんですよ、 こんなに可愛いし、置いていく訳にも行かなくて・・・」
自分の指を赤ん坊に吸わせながら、セイは答えた。
「だからって、何でここに連れて来るんだよっ!」
土方は若干後ずさりしながら叫んだ。
「しぃっ! 土方さんがそんな大声で叫んだら、ややが泣き出しちゃうじゃないですかぁ」
「でもこの子はとってもおりこうさんなんですよ。 さっきからちゃんと大人しくこうして静かにしてくれてます」
セイは総司を見上げて微笑んだ。
「本当に可愛いんですよ。 どこの親でしょうね、こんなひどいことするのは」
そう言って赤ん坊を抱いたセイと、総司が並んで座って見詰め合っている姿は、まるで夫婦に見えた。
「お前ら、妙な空気醸し出してんじゃねぇ!」
土方は、鳥肌を浮かべて2人を見た。
「本当にどうしましょう? このままだとお腹も空くでしょうし、おしめだって替えてあげないといけませんものね」
「そうですねぇ・・・ こういう場合どうしたら良いんでしょう?」
ますます寄り添いながら話す2人を土方はわなわなと震えながら見ていた。
実際は、セイが抱いている赤ん坊を総司が覗き込んでいるだけなのだが、はたから見ると微笑ましい仲の良い夫婦に見える。
「仕方ないので休息所でも借りて2人で面倒見ちゃいましょうか、神谷さん」
「えー?? 本当ですか?」
総司の問いに、セイはほんのり顔を赤らめながら嬉しそうにしている。
「あ、でもどうしましょう? 同じ1番隊だと2人が出かけている時はこの子の面倒見る人がいなくなっちゃいますね」
「それなら、お里さんがいるじゃないですか!」
「それは良い考えですねぇ」
「・・・・おい」
どすの聞いた声が低く響いた。
しかし2人はお構いなしに話し続ける。
「じゃあ名前決めなきゃですね!」
「何が良いですかね〜? あっ、この子は女の子でしょうか? 男の子でしょうか?」
そう言いながら、赤ん坊が包まれている布を少しめくってみた。
「あ、女の子ですね」
「やだぁ、沖田先生ったらぁ」
「・・・・おい(怒)」
「ん? 何か聞こえませんでした?」
「気のせいじゃないですか?」
「では早速家を探しに行きましょうか、神谷さん」
「そうですね♪」
「いい加減にしろ!!!! てめぇら!!!!」
突然大声で怒鳴った土方に、2人はびくっとした。
「ふ・・・ふぇ〜ん」
「あーっ 泣いちゃった」
「泣かないで下さいよぅ! べろべろばー」
必死にあやす2人の前に、土方はどすどすと近寄り鬼の形相で見下ろした。
「てめぇら今すぐここを出て行け! 言っとくがな、2人で住む為の休息所は絶対に何があっても認めねぇからな」
「えぇ〜っ!」
「えーじゃねぇ!! 今すぐそいつの親を探して来いっ! 見つかるまで戻ってくんじゃねぇっ!!」
そういうと、土方は2人を部屋から追い出した。
部屋から無理やり追い出された2人は、顔を見合わせてため息をついた。
「本当に、どうしましょう?」
困り果てた2人は、取り合えず助言を求める為里のところへ向かおうと屯所を出た。
「全然泣き止む気配がないですねぇ・・・」
先ほどから泣き筒ける赤ん坊を、セイは困った表情で見下ろしていた。
「もしかしてお腹空いてしまったのでしょうか?」
「お腹吸いたって言われても・・・」
「乳母なんて知り合いにいませんよ、私」
「私だっていませんよ!」
そう言って叫んだセイを、総司はじっと見た。
「な・・・なんですか?」
「いえ・・・ なんかそうやって赤ん坊抱いていると、やっぱり神谷さんて女子なんだなって思って」
「はぁっ!?」
「だって、神谷さんはそういう姿が似合いますよ」
「私は武士ですっ! ややが似合うなんて言われても嬉しくありません!」
顔を真っ赤にして抗議するセイに、総司は苦笑いした。
「そうですか・・・」
その時、前方のほうから女が何やら叫んでいる声が聞こえた。
「何でしょうか?」
「さぁ?」
声のするほうに歩いて行くと、2人を見たその女は、物凄い速さでこちらへ走ってきた。
「わっ 何かこっちに向かって走ってきますよ」
女の形相に2人はたじろいだ。
こちらへ向かって来た女は、2人の元にたどり着くなり、セイの手に抱かれている赤子を奪い取った。
「あぁっ! 何するんですかぁ!!!」
いきなり赤ん坊を奪い取られたセイは、女に向かって叫んだ。
「この子は私の子です!」
女は赤ん坊を抱きしめながら、2人に向かって叫んだ。
「えっ!?」
「ごめんね、ごめんね」
と良いながら、女は赤ん坊を抱きしめて泣き出した。
「本当に?」
「はい、本当です」
母親と思われる女は、赤ん坊の頬に自分の頬を擦り付けながら答えた。
その様子を唖然としながら2人は見ている。
「ど・・・どうしてこの子を捨てたんですかっ!! 自分の子でしょう!?」
やっと我に返ったセイは、怒気を含んだ声で叫んだ。
「この子を拾ってくれはったんですか? どうもありがとうございます」
「お礼なんていりません! そんなに可愛らしい子を捨てるなんて、それでもあなた親ですかっ!」
「神谷さん、ちょっと落ち着いて」
興奮しているセイを宥めようと、総司はセイに声をかけた。
「沖田先生は黙っててください!」
「はい・・」
あまりの剣幕で叱られた総司は、しゅんとして黙ってしまった。
「すみません、これには事情がありまして・・・」
女は赤ん坊を大事そうに抱きながら、これまでの経緯を話し始めた。
彼女はある大店の家に嫁入りしたのだが、跡継ぎとなる男ではなく女を産んだ事を親戚中から咎められたそうだ。
そして自分が家を留守にしている間に、意地悪な姑にわが子を捨てられてしまったという。
「ひどい・・・ なんてこと」
セイはポロポロと涙を流してつぶやいた。
「私にとってはこの子は誰よりも大切な子なんです。 例え離縁してでもこの子を私は育てていこうと思います」
「もし何かあればいつでも力になりますので相談に来てくださいね」
お人よしのセイは、気がつくとそう言ってしまっていた。
「ありがとうございます」
女は何度も深々とお辞儀をしながら大事そうにわが子を抱いて去って言った。
総司とセイは、女の姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見送った。
「行っちゃいましたね」
「はい。 でも大丈夫でしょうか?」
セイは女の今後を考えて胸が痛くなった。
例え離縁出来たとしても、女手1つで子供を育てていくとなると、それは大変な事だろう。
「あんな可愛いややがいるんだから、きっと大丈夫ですよ」
総司は、セイの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「さ、帰りましょう神谷さん」
そう言って、総司はセイの手を引いて屯所に向かって歩き出した。
屯所に戻ってからも、セイは抱いていた赤ん坊の感触が忘れられずぼーっとしていた。
「ややが欲しくなってしまいましたか?」
そんなセイの様子を見て、総司は笑いながらセイの隣に座った。
「あっ 沖田先生っ! いえ、そういう訳ではないのですが・・」
図星を突かれて、セイは真っ赤になった。
「今からでも遅くありません。 隊を抜けて嫁に行けばあなたも可愛いややを授かる事が出来ますよ?」
総司の言葉に、一瞬悲しげな表情をしたセイだったが、次の瞬間キッと総司を睨んだ。
「私はややなどいりませんっ! ずっとここで武士として生きていくんですっ!」
「あははっ そうですか、それなら仕方ありませんねぇ。」
総司はセイの顔を覗き込んだ。
セイは、近くにある総司の顔にドキッとして顔を逸らした。
「じゃあいつかあなたには私のややをお願いしないとですかね」
「えっ!?」
総司の言葉に驚いて、セイはばっと総司を振り返った。
その瞬間、総司はその場を立ち上がってしまった。
「さぁ〜て、お腹空きましたね。 夕餉でも頂に行きますか」
総司は顔を逸らして歩き出してしまった。
「せっ 先生!?」
セイも慌てて立ち上がった。
「何してるんですか? 置いて行きますよ」
セイはこちらを見ないまま去って行く総司の後ろ姿を見つめた。
総司の耳は真っ赤だった。
セイは、走って総司に近寄り、腕を組んだ。
「何ですか、いきなりっ」
見上げると、顔を真っ赤にした総司が慌ててセイを振り払おうとしていた。
「いいえ! 何でもありません! さ、ご飯ですよ、ご飯!」
セイは、にっこりと微笑むと、元気に総司の腕を引いて走り出した。