慟哭 32話






全ての診療を終えたセイは、片付けをし帰り支度を始めた。
そこに、坂本が近づいてきた。

「おセイさん。 もし良かったらたまには家に飯でも食いにこうへんか?」
「えっ?」
振り向いたセイに、坂本は微笑んだ。
「さっきここに来てた女の人、おセイさんと一緒に住んではる人やろ?」
「あ、見てらしたんですか」
「聞くつもりはなかったんやけどな。 実家帰ってしもうたんやろ?」
「ええ。 お母上が倒れてしまったとかで…」
セイは心配そうに答えた。

「帰っても1人なんやったら、家に寄って行き。 うちのんもおセイさんに会いたがってるんや」
「奥さまがですか?」
坂本の妻は、良く診療中、坂本に昼ごはんを届けに来たりしている。
挨拶は何度もしているのだが、じっくりと話した事はない。

「あれも、あんたと話がしたいと言うてるからな。 どうや?」
坂本の申し出に、セイは嬉しそうに微笑んだ。
「はいっ ご迷惑でなければ、喜んで行かせて頂きます」






「まあまあ、よう来たなあ」
家に入るなり、坂本の妻であるヨネが笑顔で出迎えた。
「すみません、突然来てしまって」
セイは申し訳なさそうに頭を下げた。
「何言うてはるの。 私がおセイさんを呼んでって言うてたんよ。 さあ、上がって」
「ありがとうございます。 お邪魔します」
家に上がると、そこには若い男が座っていた。
セイを見るなり、立ち上がって会釈した。

「あなたが父の診療所で働いてはるおセイさんですか」
「あ、はい。 あなたは?」
仕事以外で知らない男性と対面する事に未だ慣れていないセイは、体を強張らせた。
「俺、息子の伸太郎言います」
「は、初め…まして…」
息子がいるなど聞いた事がなかったセイは、緊張しながらも頭を下げた。

「父から聞いてましたけど、ほんまに別嬪さんで驚きましたわ」
「いえ、そんな‥」
セイはどう対処して良いのか分からず、戸惑った。
以前なら軽く流せたそんな言葉も、笑顔の裏に何かあるのではないかと考ええてしまう。




「おい、伸太郎。 おセイさんが困ってはるやろ」
セイの後ろから中に入ってきた坂本が、伸太郎の肩を押さえて座らせた。
「困ってはるって… ただ挨拶しただけやんか」
ブスッとした表情をしながらも、伸太郎はおとなしくその場に座った。
坂本は一緒に座りながらセイに振り向くと、申し訳なさそうに笑った。


気を使わせちゃったんだ…


セイの様子に気づいた坂本が、間に入ってくれた事に安堵した。



「俺、今大工の見習い中なんですわ」
ヨネが食事の用意をしてくれている間、伸太郎が間を持たせようと自分の事を語りはじめた。

「大工さん?」
セイは恐々と聞き返した。
てっきり息子というのは、医者である親の後を継ぐものだと勝手に想像していた。
「ええ。 俺小さい頃から大工に憧れてましてね。 父も母も賛成してくれて、お陰様で最近ようやく少しは飯が食える程度の給金貰えるようになりましたわ」
あはははっと笑いながら、頭を掻いた。

「こいつは言い出したら聞かん奴やからな。 まあわしも無理に後を継がせようなんか思てなかったから、やりたいことがあるならやればええて言うたんや」
茶を啜りながら、坂本がボソッと話した。

「そうなんですか。 だからそんなに日に焼けてらっしゃるんですね」
真っ黒に日焼けしている伸太郎を、セイはまじまじと見た。

「こんな綺麗な人に間近で見られたことないから照れますわ」
そう言いながら、また笑っている。
「あ、ごめんなさい」
慌てて目を逸らした。


その後も、伸太郎は屈託のない笑顔で、色んな話しを聞かせてくれた。
話し上手なせいか、伸太郎に感じていた恐怖心は少しずつ薄らいでいった。


「そろそろお腹空きましたやろ?」
少しすると、ヨネが食事を運び始めた。
「あっ、私もお手伝いします」
セイは立ち上がると、急いでヨネの後をついて台所へ向かった。




「いや、ほんまに別嬪さんやな」
セイの後ろ姿を見送りながら、伸太郎は呟いた。
「阿呆。 絶対におセイさんに手出したらあかんで」
「そんなことするかいな!」
「あの子にはちゃんとええ人がおるんや。 毎日のように診療所にも顔出すほどおセイさんに掘れとるみたいや」
「あれだけ器量良しな女子や。 男の方はそらもうぞっこんなんやろな」
感心したように伸太郎は言った。

「診療所でもえらい評判ええわ。 大した怪我もしてないのに、通う奴までいてるからな」
そういうと、2人で声を上げて笑った。




「えらい楽しそうやなぁ」
食事を持ってヨネとセイが入ってきた。
「おセイさんの人気ぶりを聞いてたんや」
楽しそうに話す伸太郎の言葉を聞き、セイは恥ずかしそうにしながらも、テキパキと用意をした。


久しぶりにセイは総司や里以外と食事をしている事に不思議な気分を感じながらも、楽しいひと時を過ごした。
何より伸太郎の話が面白く、聴き入ってしまった。
大工の知り合いなどいない為、色々教えてくれる伸太郎にこれでもかという程質問していた。






「ほんまに泊まって行かへんのか?」
「ええ、そこまでお世話になる訳にはいきませんから」
「でもこんな暗うなって1人で帰すのは怖いなぁ」

すっかり話し込んでしまい、遅くなったことで泊まっていくよう勧められたのだが、それをやんわりと断り帰ろうとしていた。

坂本は、セイとの食事が楽しかったのか、酒が進みすっかり酔って眠り込んでしまった。
伸太郎はセイを夜道に1人で帰らせる訳にもいかず、引き留めようとしていた。

「家も近くですから、大丈夫です」
「そんなら俺が送って行きますわ」
「えっ」
伸太郎の申し出に、思わずセイは声をあげた。
いくら恐怖心は幾らか解けたとは言っても、暗闇で2人きりになれる程打ち解けた訳ではない。

「いえっ、大丈夫です‥」
慌てて手を振った。
それを見て、伸太郎は笑った。
「あははっ 安心して下さい。 俺はおセイさんを無事に家まで送り届けるだけですから。 決して送り狼なんかにはなりません」
「‥‥」

セイの心を読んだような答えに、セイは何も言い返せなくなってしまった。
「それにおセイさんにはええ人おるて父から聞いてます。 何かあったらそのお人が悲しみますやろ?」
そういって微笑む伸太郎に、セイは申し訳なさそうに頷いた。



伸太郎はセイに気を使ってか、程よい距離を保ちながら歩いてくれている。
その間も、セイを不安にさせない為にか、他愛のない話を続けてくれている。
事情など何も知らないはずなのに、セイの反応を見て何かを感じ取ったのだろうか。
その優しさに感謝していた。



突然、伸太郎が歩みを止めた。
セイは不思議そうに伸太郎を見ると、その視線の先に目を向けた。
暗闇の中に誰かが立っている。

「おセイさん。 ここは危ないかも知れへん。 別の道から行きましょ」
「は、はい」
伸太郎はセイの腕を掴むと、今来た道を引き返そうとした。



「すまんが‥」
背を向けたその時、背後から呼び止める声がした。

聞き覚えのあるその声に、セイは歩みを止めた。

「おセイさん?」
立ち止まったセイを、伸太郎は見下ろした。


「神‥ 富永セイさんか」
自分の名を呼んだその人に、セイは信じられない気持ちでゆっくりと振り返った。



そこには、無表情だがとても懐かしい姿があった。

「斎藤せんせい‥」




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