慟哭 1話
いつからだろう。
「隊を出なさい」
そう言う私の言葉に対して、「嫌です! 私は武士です」という答えが返ってくるのを期待し始めたのは。
いつからだっただろうか。
あの子がこの隊から居なくなる事を望まなくなったのは。
それが己の私情だと分かっていても、もう手放せなくなってしまっていた。
「神谷さん、お出かけですか?」
「あ、沖田先生」
私が呼び止めると、神谷さんはいつもの笑顔で振り向いた。
「副長から使いを頼まれまして。 これから行ってきますね」
「そうですか。 雲行きがあまりよくないので、もしかしたらもうじき雨が降り出してしまうかも知れませんよ」
そう言って私は鉛色の空を見上げた。
「そうですね。 なるべく急いで帰るようにします」
「神谷さんがいないと淋しいので早く帰って来て下さいね」
そう言うと、セイはふふっと微笑んだ。
「私の帰りが待ち遠しいのではなくて、私が買ってくるお土産の甘味が楽しみなのでしょう?」
「あ、バレましたか? 楽しみにしてますからね♪」
セイはあははっと笑うと、「わかっていますよ。 では行ってきますね」と行って歩き出した。
セイの後ろ姿を見送りながらも、何かいつもと違う違和感を感じた。
「神谷さんっ!」
突然呼び止められたセイは、一瞬立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。
「はい、何でしょう?」
にっこり微笑むセイの顔は、いつもと同じ顔で、総司は何に違和感を感じたのか分からず苦笑いをした。
「いえ、何でもありません。 気をつけて行ってきてください」
「変な先生」
そう言って笑うと、セイは再び歩き出した。
「神谷さん遅いなぁ〜」
もうじき夕餉になるというのに、セイはまだ戻って来ていない。
「土方さんたら一体どんな用事を神谷さんに押し付けたんだろう。 こんな暗いと帰りが危ないじゃないですか」
ブツブツ言いながら、総司は愛刀の手入れをしていた。
セイの帰りを待っていた総司だったが、就寝の時刻になっても戻ってこないセイに、徐々に総司は焦りを感じていた。
「土方さん、総司です」
総司は、セイがどこに行ったのかを土方に聞こうと部屋を訪ねた。
しかし中から返事は返ってこない。
そっと中を覗いてみたのだが、部屋には誰もいなかった。
「近藤先生の部屋かな」
そう思い、近藤の部屋も訪ねてみたのだが留守のようだった。
総司はセイの事を心配しながらも、取り合えずセイの帰りを待とうと隊士部屋へ戻った。
「?」
部屋に戻ると、総司の行李の上に手紙のようなものが置いてあった。
総司は嫌な予感を胸に抱きながら、その手紙を手にとって目を通した。
みるみる総司の顔は青ざめ、手紙を握り締めると部屋を出て行った。
屯所の外に出ようとした時、戻ってきた近藤と土方に出くわした。
「近藤先生っ! 土方さん! 神谷さんがっ!」
2人に縋り付くように叫んだ総司を見て、2人は困ったように顔を見合わせた。
「総司、話がある。 一緒に部屋に来なさい」
「神谷君は、今日限りで隊を出る事になったんだよ」
「どうしてですかっ!」
総司は、2人に詰め寄った。
「落ち着け、総司」
「だってっ! こんな急にっ!」
尚も問い詰めようとした総司に、近藤は困ったように口を開いた。
「総司、神谷君は女子だったのだよ」
その瞬間、総司の頭の中は真っ白になった。
バレたのか
真っ青になって近藤の顔を凝視している総司に、近藤は優しく尋ねた。
「総司、お前は知っていたのかい?」
近藤の問いに、総司は固まったまま声を出す事が出来なかった。
「総司?」
「は・・・い・・ 知っていました・・」
やっとの事で答えた総司に、近藤は優しく微笑みかけた。
「神谷君は、誰にも自分が女だという事を話していないと言っていたよ」
「え?」
「私たちは、当然総司も知っていたと思い神谷君に何度も確認をしたんだ。 でも、最後まで総司にも話していないしバレてもいないと言い張っていた。 そして、処罰を受けたいと申し出てきた」
「何ですって・・」
近藤から伝えられた言葉がすぐには理解できなかった。
「神谷さんは自分からその事を?」
「そうだ。 話があると言われてね」
どうして自分から話したのか。
「総司、神谷君をこのまま隊に置く事も出来ない。 本人も隊を出るか、腹を切る事を望んでいてね」
近藤の顔を見たまま、動く事が出来ない。
先ほどのセイの笑顔と会話が思い出される。
「それで・・ 神谷さんは・・」
「安心しなさい。 俺もトシも神谷君に切腹させたいなどとは思っていない。 彼・・いや、彼女は口利きで紹介してもらった大阪の商家に嫁がせる事にしたよ」
神谷さんが嫁ぐ・・
「もうここへは二度と戻らない。 恐らく京へも戻らないだろう」
総司は全身の力が抜けるのを感じた。
「総司、他の者には神谷の件は話すな。 病気で除隊という事にする。 いいな?」
「分かりました・・」
話が終わり、総司は近藤の部屋を出た。
1人ふらふらと庭へ出た総司は、その場に座り込んだ。
何故彼女は自分に何の相談もなかったのか。
何故一言も挨拶がなかったのか。
何故彼女は自分から女だという事を話したのか。
何故セイがいなくなったことで、これほどまでに自分の胸は痛んでいるのか。
何故セイが嫁ぐ事を素直に喜べないのか。
総司はそのどれもが分からなかった。
セイからの手紙には、一言「お世話になりました」とだけ書かれていた。
ポツポツと降り始めた雨に打たれながら、総司はセイに対して感じた違和感を思い出していた。
あの時、行かせなければ良かったのか。
いや、処罰を覚悟までしていたのだ。
きっと自分があの時何をしていようと、彼女は隊を出て行っただろう。
総司はぎゅっと唇をかみ締めて、降りが激しくなってきた空を見上げた。
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